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zoom RSS えろげー雑記(34)「世界に倦むグノーシス」

<<   作成日時 : 2008/04/28 23:14   >>

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11eyes-罪と罰と贖いの少女-http://lass.jp/
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好きな題材故、色々と書きたい事はありますが、まずはゲーム本体について。
(以下ネタバレあり)
シナリオは基本的に一本道。攻略ヒロインは五人居ますが、実質「攻略した」という感覚が味わえるのはゆか、みりんさん、くくりの三人だけです。
栞はえちぃまでは出来ますがその後のフォローがゼロに等しいですし、雪子に至ってはまだ話がこれからと言うところで退場、以後はほぼ蚊帳の外です。エピローグでフォローがあるだけまだ栞よりはましですが。
他の三人にしても個別イベントの数はけして多くないので、「それぞれ別の話」を読んだ、という感覚は希薄です。
それでも結果として満足した、と言えるのは最後まで一本の柱として存在する共通部分のシナリオが面白かったからでしょう。
終盤やや駆け足な感はありますし、実質のエピローグといえるとあるヒロインの話に至っては正直
「そんなまとめ方でいいのかYO!」

とつい叫んでしまいそうになりますが――読後感は良かったですし、まあ結果オーライということで。
以下、ヒロインについて攻略順に。

>ゆか
最初にやったせいか自分としてはブランドの希望通りメインヒロインな印象ですが、冷静に見ると物語上の重要度はみりんさん及びくくり先輩とほぼ横並び。依存系のヒロインはうざったく感じる場合もありますが、ほど良いバランスだったかな、と。

>雪子
結果としては前半にやって正解。共通ルートで彼女については実質殆ど語られてしまっているので、個別で加わるべき物語が殆ど無い、という悲しい結果に。後半は空気どころじゃない酷い扱いですし……。まあ、エピローグでやることはきっちりやってくれますし、共通の前半から中盤にかけては賢久と並んで駆きゅん以上に話を引っ張っていってくれますので、これはこれで。独占スキーな方には憎まれそうですが、正直賢久とのほうがいいカップルだと私も思います。

>菊理
栞にいくはずが体験版部分の選択肢をミスっていたため先にこちらを攻略。最後あるぇー?と思いましたが後で納得。「喋れない」が故のスケッチブックの文字ですが、それを上手く使った演出がとても良かったと思います。
「でも皐月君も男の子ですからねえ」は名言。

>栞
井村屋さんボイスも含め個人的には目玉ヒロインだったのですが……上にも書いた通り、攻略までは出来ますがキャラの性格付けのせいか巻きに入ったストーリーのせいか、エピローグでも何故か殆どフォローなし。写真のゆかに向けられた目線が唯一「それっぽさ」を想像させる、というちょっと寂しいエンディング。まあ、設定上あのまま学園生活が続けられるかどうか、やや疑問を感じなくもないのですがFDには期待してもいいのかな……無理か?
本格的に話に加わるのが後半なので、そこはやや残念ですが出てる時は美味しいところをみりんさんと一緒に文字通りかっさらっていくので、そんなハブられてる感じはしませんでした。
絆創膏は正義。

>美鈴
2chでみりんさんと連呼されるので私にもうつりました。どうしてくれる。
いや別にいいんですけど。
後半へたれるのではないか、と発売前から予想されてましたがその通りの結果に。折れっぷりも中々良かったですけどね。戦闘では最初から最後までほぼ主役を譲らず頑張ってくれました。
あと弁当のシーンとかえちぃも良かったと思います。

私の攻略順は以上ですが、やはり菊理は後半に廻すのをおすすめ。雪子と栞は前半にやったほうががっかり感
が少ないかと。後はゆかを最初にするかどうか、というところかな。

あと忘れちゃいけない賢久。彼と雪子のクロスビジョンは初回プレイ時になるべく全部見るようにしましょう。後で読むとその時の高揚感とかが薄れてしまいかねないです。
賢久の話は実質もう一本の柱といってもいいくらいなので、初回はあせらずじっくり進めて欲しいですね。


>総括
一周目は凄いボリューム――と思ったのですが、二周目以降はただの作業になってしまうのは否めない。
栞の分岐に関わる選択肢が前半にあるのにしばらく気付かずにいたので、そこからやり直すのは正直苦痛に近いものがありました。保健室には一緒に行こう。
「次の選択肢まで進む」が無かったら力尽きていたかも。
一周目に限って言えば名作と読んで差し支えない所ですが、総合的にはやや残念な部分も。
敵役に関するクロスビジョンなどは、敢えて一周目は見ないで後に取っておくのも良いかもしれませんが、それだとリゼットや黒騎士の発言について「???」となってしまいかねないので難しいところではありますね。
また、本作は黒騎士やクリーチャーのデザインも非常に魅力的でした。絵師さんのサイトも必見――ということでぺたぺた。
>福岡ブラックインフォメーション
http://www.diced.jp/~fbi/ ぞうあざらしさんのサイト。


>おまけ
このお話の設定の柱の一つともなっているリゼットの信仰――アルビ派、カタリ派と呼ばれるキリスト教の異端信仰ですが、これは所謂「グノーシス主義」的な世界観を持っていたことで知られています。二世紀前後に栄えたキリスト教グノーシスやマニ教などから連綿と精神性を受け継いだ、キリスト教と民衆の異教信仰の狭間で生き続けた現世否定の信仰です。詳しくは「グノーシス主義」でググるか、以前私が挙げた書籍などで読まれるとよろしいかと。
この作品では「七つの大罪」と組み合わせることで一捻りしてありますけどね。
参考:http://atslave.at.webry.info/200709/article_12.html


>以下、おまけのおまけ故小文字で。ゲームとは全く関係ありません。
それはともかく、この信仰の面白い所は、むしろ平和といってよい環境で教理が発生したにもかかわらず、その信仰の真髄が試されたのはその後に訪れた暗黒の弾圧時代にあったという点でしょう。
二世紀という時代はキリスト教が弾圧された時代と良く言われますが、実際の所キリスト教がローマ人に急速に浸透したのは所謂「五賢帝」の時代――ローマ帝国史上最も平和な時代でした。彼らは当時、すでにローマの神々を信じない者、社会事業に参加しない者としてけして歓迎されてはいませんでしたが、ローマの為政者はそれでも彼らを「積極的に」弾圧することはなかったのです。
平和であったからこそ、キリスト教徒は内部で争うことが出来た、とも言えるかもしれません。その後マルクス・アウレリウス帝の時代に至って弾圧が実質的になってからも、彼らは異教徒に反抗するよりむしろ激しく身内の異端を攻撃していました。そして弾圧に際し殉教した人々は、現在「正統」と呼ばれる信仰より、むしろキリスト教グノーシスに近い価値観を持っていたとも言えるのです。現世を苦痛とし、殉教による救いを求める姿は容易に現世を作った神を偽の神と呼ぶグノーシスの考え方と共鳴しますし、実際その時代において正統と異端の明確な区別は無かったのです。
やがてコンスタンティヌスがキリスト教徒に庇護を与える際、キリスト教徒は「正統」と「異端」の境界を設定することによって教会組織の強化を図り、「異端」と自らが決めた連中を排除することによって権益を教会に集めていきました。そして、最終的にはかつて無視によって結果的に彼らを守っていたローマの異教を禁じ、異教を信じるものを嘗て自らが受けた弾圧よりなお激しく弾圧していったのです。キリスト教グノーシスはこの弾圧の中で消え去ったと思われていましたが、やがて西欧においてカタリ派として蘇りました。そして、彼らの教義はかつての殉教者たちと同様に、弾圧を受ければ受けるほど強固になっていく類のものでした。現世を汚れたものとして憎み、自らが「完全者」となることで自らがまず救われる事を願う姿は、仏教における「独覚」に通ずるものも感じます。

グノーシス関連の書籍を読むにつけ、最初は教会内批判や思考実験的なものによって生まれたであろう複雑な教義が、弾圧され地下に潜ることによってその一部だけが肥大化し、純粋を求めて先鋭化していく過程を見るような気がします。
逆に言えば、その複雑さと純粋さ故に彼らは「正統」から弾きだされたとも言えるのですが。
聖書をちょっとでも読んだことがある方ならご存知でしょうが、所謂正典である四福音書ですら、それぞれ同一の出来事についてまるで違う意見を述べていることがあります。全く逆の結論になっていることすら珍しくありません。
「正統」なら答えは一つであるべき――現代人ならそう思うところですが、当時のキリスト教徒は違いました。
彼らの言う「正統」はあくまで「異端と彼らが決めたものではないもの」の集合体であって、ただ一つの真実などではなかったのです。そして神の全能性を持ち出すことによって、彼らは矛盾する言葉をも「それぞれが神の言葉である」と信徒を言いくるめることが出来たのです。その意味で、現在の形の聖書とは人間としてのイエス・キリストとは無関係な、教会が望むキリスト教を布教するためにまとめられた書物、にすぎないのです。
しかも、カタリ派が弾圧された時代においては、既に教会自体の聖書に対する信仰が絶対化していました。もはや「言いくるめる」という意識すらなく、異端はただ排撃されるべき憎むべき存在でしかなかったのです。
そんな中で現世否定の教義を信じた者がどういう思考にたどり着くか――「リゼット」のお話はそういう部分を扱っています。しかし、カタリ派も本来はカトリック教会の腐敗に怒る知識人の宗教として出発したのであり、十字軍(一説にはその中のテンプル騎士団)によって東方からもたらされたカトリック教会の硬直や無知を破壊する知識がその発展に大きく寄与したのですが、その信仰に影響を受けて先鋭化したのは一般の人々でした。


現世否定の信仰は苦しい時、混乱の時代にこそ猛威を振るいますが、現世否定が生まれる土壌は平和の中、倦怠と諦観の中に潜んでいます。現世の否定が魅力を持って映る時代というのは、平和が終わりに近づいた兆し――でもあるのかも、しれません。









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