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あくまで「のようなもの」ですが作ってみました。 ネタバレ全開でお送りしますので、未読の方はご理解の上、先にお進み下さい。 あくまでただの物好きが書いた文章なので、学問として嗜んでいる方からするとおいおい、という部分も沢山あろうかと思いますが、まあ気にせずに書きます。 以前も書きましたが、自分はどこの信者でもないので、今回とりあげる某世界宗教を誹謗も擁護もする気はありません。杉井氏の作品同様、あくまでネタとしてお楽しみ頂ければ幸いです。 ただ、元ネタを知らずにいるのもそれはそれで問題ありかと思うので――ということです。 そういうスタンスですので、教理論争などに参加する気は一切ありませんので悪しからず。 聖書の引用については、特に記載のない限り「新共同訳」から転載しています。 並行記事については「さくらファミリア!」の本文中に出典が明記されているものについてはその部分を、複数のネタ元が考えられる場合は、原則としてマタイ福音書から引用して説明しています。 田川建三が好きな自分としてはマタイを優先して選ぶ理由は特に無いのですが、出典が明記されている中で、マタイからの引用が若干多めなことを考慮した結果です。 いくつかの記事・資料についての訳・正当性については諸説があり、それは「新共同訳」聖書についても例外ではありません。故に、個々の記事の信頼性や正当性について私が保証することは一切ありませんし、リンクしたwikipediaの記事もあくまで参考程度にお考え頂ければ幸いです。 また、私の気づかなかった箇所も当然あるかと思います。気づいた方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授頂ければ幸いです。出典の明確なものについては順次載せていきたいと思います。 1)タイトル >さくらファミリア サグラダ・ファミリア - Wikipedia: どう見てもベタなネタですね。本当にありがとうございます。 2)主な登場人物について >祐太 イスカリオテのユダ - Wikipedia: wikiと本編でニュアンスの食い違う部分については後半で。 >砂漠谷エリ・レマ マタイによる福音書 27−46より。 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マルコによる福音書では「エロイ、エロイ――」となっているが、これはヘブライ語読み(マタイ)とアラム語読み(マルコ)の違いとされている。なお、成立はマルコによる福音書が先。 その他諸々の理由から、生前のイエスが実際に話していたのはアラム語だった、という説もある。 まあ、いずれにせよ、「エロイ」じゃあ女の子の名前には出来ませんね(´・ω・`) >ガブリエル ガブリエル - Wikipedia: 個人的には「バスタード!」のガブリエルと激しくイメージがかぶります。 何故みんな巨乳のねーちゃんにしたがるのだろう…… >るーしー ルシフェル - Wikipedia: 一巻のイラストはもっとちんまりしてても良かったと思うんだ。 大事なことなので何回でも言いますね。 他、途中から登場する人物に関してはその都度とりあげたいと思います――と言うわけで、ここから本番。 3)各巻出典 一巻: >P7「七の七十倍赦しなさいってイエスさまも……」 マタイによる福音書 18−22より。 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」 ペトロの問い「兄弟が自分に対して罪を犯したなら、何回赦すべきか」に答えた言葉。 七というのは当時のユダヤ人にとっては特別な数字、聖なる数字であり、、同時に「大きい」数字を表すのに良く使われる表現でもある。七回赦してやるというのは非常に慈悲深い、という一般的了解があったと思われるが、「マタイ」の作者はこういう場合数字を更に大げさにする傾向がある、と言われている。 なお、ルカによる福音書の並行記事ではイエス自身が「七回まで赦してやれ」と言っていますね。 >P8「添い寝は立派な仕事だってガブリエルが……」 ガブリエルは受胎告知の天使――ということで子守のイメージからの言葉か。 ……単純にセクハラのような気もしますね、ええ。 >P9「肌が黒くて髪も青みがかかっているので……」 ダンテ「神曲 地獄篇」第三十四歌で、ルシフェルは正面に赤い肌の顔、右には白と黄の中間の肌、左にはエチオピア人の肌の色(黒い肌の意か)――と、三色の肌の顔を持つ地獄の王として描かれている。 ユダに関する後半の描写からは、杉井氏がある程度「神曲」を意識して書いたことが伺えますが、この辺はあくまで見た目重視で処理したのかなあ、と。 >P10「天に在す我らが父よ、今日の糧を与えてくださったことに感謝します。アーメン」 主の祈り - Wikipedia: カトリックと聖公会の共通口語訳を下敷きにしているようです。 >P17「救世主の誕生日が十二月二十五日というのは……」 本文の説明だけでも充分とは思いますが、参考までに。 ミトラ教 - Wikipedia: ソル(ローマ神話) - Wikipedia: クリスマス - Wikipedia: この辺は塩野七生「ローマ人の物語」でもとりあげられていますね。 今は文庫でも出てるのでお気軽にどうぞ。 >P17「駆け込み訴え」 太宰治作。 駆け込み訴え - 青空文庫:で読めます。良い時代になったものだなあ…… >P25「マタイ言行録か使徒言行録か選んで」「頸の骨を折って死ぬか、真っ二つに……」 マタイ27−5より。 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。 また、使徒言行録 1−18では ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。 となっている。 >P26「御子さまだって、『その者は生まれなかったほうがよかった』って……」 マタイ26−24より。マルコ14−21にもほぼ同様の記事。 「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 >P27「あとサタンが憑いてるし……」 ヨハネ13−27より。 ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。 >P39「聖痕」「百卒長の槍」 聖痕 - Wikipedia: 聖槍 - Wikipedia: 基本的には、全て後世の伝説。 >P43「御子さまも五千人に魚とパンを分けたときに……」 マタイ14−17〜21より。マルコ6−38〜44にもほぼ同様の記事。 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 ルカ9−13〜17も同じ記事だが若干ニュアンスが異なる。 >P45「ベルゼブブ」 ベルゼブブ - Wikipedia: >P46「偽りの王として辱めよ」 「この人を見よ」ヒュドール ホ アンスローポス - Wikiquote: ヨハネ福音書19−5より。 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 イエスが「ユダヤ人の王」と見なされることを恐れたユダヤの祭司長たちが、ローマ人にイエスを無理矢理処刑させようとして彼を王を騙る者として告発した――という前段の流れを受けての改変かと思われるが、劇とか文学作品で別に元ネタがあったような気もする。 >P62「罪痕は、ユダが死んだときの傷……」 P25の項参照。 ちなみに、よく誤解されているところですが、新約聖書の一部には、イエスの生前からすでに教会組織があったかのような書き方をしている箇所があります。しかし、実のところイエスが生きていた当時はまだ「教団」も「教会」も存在しませんでした。単にイエスと彼を慕う人間がいただけですね。 イエスを一人の人間として見るならば、彼はあくまで奇跡による病人の治療を積極的に行い、ユダヤ教の既存の体制を積極的に、また極めて攻撃的に批判する行動者だったと言えるでしょう。(勿論、既存のユダヤ教の文脈から彼を救世主、あるいは神の子と見た人が存在したのもまた確かですが) イエスの神格化が進むのはあくまで彼の死後であり、後の福音書はその「死後につくられた教会」の視点を反映しているのです。 そもそも福音書自体、書かれたのはイエスの死後何十年もたってからですからね。 故に、複数の伝承の間で矛盾が生じても当然とも言えます。 >P62-63「サタンは死んでも治らないって『失楽園』に……」「永久に癒すべからざる憎悪の念」 失楽園 - Wikipedia: 「永久に〜」は上巻P13-107より。 >P71「平気平気、どうせこの本、私の出番めっちゃ少ないし……」 ガブリエルの項参照。 >P71「そこでマタイ福音書のここね……」「使徒言行録の……」 P25、P62に同じ。 >P109「――大君よ、支配者よ、戦士たちよ!……」 「失楽園」上巻P24-315〜P25-330より。岩波版とは言葉使いが違いますが。 >P118-119 神曲 - Wikipedia: 本文通り神曲「地獄篇」より。 >P134「《白百合》っての。触れるだけで処女を……」 聖母マリア - Wikipedia: 受胎告知の白百合 あたりからすると、中世の図象学の中での産物か。 ソドムとゴモラは旧約聖書ですね。 ソドムとゴモラ - Wikipedia: >P140「わたしが継いだのは『剣を投げ込む者』……」 マタイ10−34より。 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」 >P188-189「ジュダ・スカリオット……」 地獄篇第三十四歌参照。集英社文庫版ではP407-62。 >P207-208「イエスを裏切ろうとしていたユダは……」 マタイ26−48〜49より。 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。 >P261「消え去るべき者は消え去れ」 旧約聖書、ゼカリヤ書11−9より。 そして、わたしは言った。「わたしはお前たちを飼わない。死ぬべき者は死ね。消え去るべき者は消え去れ。残った者は互いに肉を食い合うがよい。」 >P283「有頂天」 本来の「有頂天」は仏教用語ですね。 ルビのエムビレオはダンテ「神曲」における聖母マリアの座所「至高天」からか。 >P285「聖金曜日」 聖金曜日 - Wikipedia: >P287-288 とりあえずみんな田川建三を読むといいと思うよ。 ちょっと高い本ですが、この辺の歴史に興味のある人にとっては間違いなく面白く読める代物でもあります。 >P294「十誡で」 十誡 - Wikipedia: >おまけ。 マタイ受難曲 - Wikipedia: 歌詞とか。 あと動画とか。http://jp.youtube.com/watch?v=PgurNJLivG0 二巻の分は収まりきらなかったので別エントリでそのうち。 ……けっこうめどいんだ、これが(´・ω・`) |
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