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zoom RSS 雑記「物語は誰のものか」

<<   作成日時 : 2009/04/22 19:12   >>

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 最近、サンデーはチェックしていなかったので四巻の中身は全て初読……だったわけだが。
「サブヒロインは世界と闘争する」
「変容する自己と他者」
 前者の中身とほぼ同じ内容が、既に「物語として」過不足なく描写されていたことに驚きつつもややしょんぼり
(´・ω・`)
 まあ相手は神だからしかたないな。
 さておき、今回の巻に収録されている小坂ちひろ篇における「普通の人」の物語には、ギャルゲー・エロゲーの基本構造についてある意味重要な示唆が含まれている――そう言えると思う。
 前回の1.2.を受けて、次の疑問を提示してみる。

3.物語は誰の物か
 ギャルゲー及びエロゲーは通常、ヒロインの魅力に焦点をあてた作品としてまずつくられる。
 しかし、それは全てのギャルゲー/エロゲーが「ヒロインの物語」であることを意味しない。
 前回2.で述べたように、主人公側の救済/トラウマ解消/目的達成がヒロインのそれより優先される作品、あるいはヒロイン側のそれと主人公側のそれが等価である作品もまた数多く存在する。つまり、これをもって「そんなゲームはギャルゲー/エロゲーじゃねえ」と言い切るのは所詮無理な話なのだ。 (※1)
 すなわち、ギャルゲー/エロゲーにおける物語は「ヒロインたちの物語」であると同時に、普通に「主人公の物語」でもあると言うこと(※2)――本来言わずもがななこの点を、今一度はっきりさせておく必要がある。
 所謂Kanon問題、であるとかToheart的/Kanon的、という区分は前者「ヒロインたちの物語」に焦点を当てた時にのみ成立するものであり、主人公の物語を紐解くにはあまり助けにはならないのだ。
 

 さて、ここで「神のみ」四巻に戻ってみる。
 主人公である「神さま」の視点において、リアルの女性は全てサブヒロイン以下の背景にすぎないわけだが、「落とし神」としてのメタ視点から彼女らを眺めた際でも、小坂ちひろはサブヒロインとしての役しか与えられない――そういう子である。しかし一方、「リアル」な小坂ちひろの物語として視た場合、全く同じことが「神さま」にも言えるのだ。
 「ヒロインのリアルな物語」において、物語に侵入しメインキャラと成りうる力を有しつつも、あくまでサブキャラでありつづけようとすること――それが「神さま」のスタンスであり「神のみ」を貫く構造である。
 しかし――では、「この物語」は、はたして「どちらのもの」だろうか?
 これは「ギャルゲーを題材にした漫画」であってギャルゲーそのものではない。そして主人公は明確に「神さま」である。故に記憶を失ったちひろにも「種」は一抹の希望(あるいは「神さま」にとっての堕落の元?)として残される。
 しかし、各ヒロイン篇における「主人公」が彼女らであることもまた明白な事実なのだ。
 「神のみ」は、縦糸に主人公の繰り返されつつ少しづつ進む日常としての物語を置きつつ、横糸にヒロイン達が非日常から日常に回帰する物語を挟むことで成立している。
 四巻で「神さま」が漏らす一言「ずっと一話完結でいいな」という言葉は、見方を変えるとどこか「日常シーンしかないエロゲがやりたい」という、かつてとある知人ゲーマーが漏らした呟きにも近いものを感じさせて、ちょっぴり重たい。
 前回1.に関連して、サブヒロインが物語に参入するには自分から物語を生み出す気概(?)が必要、というような話をした。
 今の「神さま」にも同じ事が言える。彼はリアルにおいて自らが主人公たることを拒否/躊躇しているサブヒロイン(ヒーロー?)であり、彼が「彼の物語」を紡ぐに至るには未だ気概(あるいは燃料)が不足しているのだ――と。
 最も、「神のみ」がいつか終わりを迎える時までには、それもまた変わっていることだろうけど。

 今日はとりあえず、こんなところで。

 ※1:勿論、各人の好みは別として。
 僕自身はすでに何回か述べたように、ジャンルとしてのエロゲーを楽しむにおいては「エロゲー/18禁ゲーである必然性」を有している物語であれば、それがヒロイン寄りであれ主人公寄りであれさほど気にはならないのだけど、物語の完成度を希求するあまり(?)その必然性を失った作品も世にはしばしば見ら……うわ何をす(ry
 勿論「エロゲーである必然性は無いが、しかし優れた物語」がまた数多く存在するのも、皆様知っての通り。
 ※2:付け加えるなら、ここにもう一つ「プレイヤーが体感する全体としての物語」が含まれるが、こちらについてはまた別の機会に……機会があるといいね!

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男は攻略対象たりえるか?
最近DG-Lawさんのとこと連動しているサブキャラ論。興味深い話題だから仕方ないのではあるんだけど。 ...続きを見る
三毛猫艦橋
2009/05/17 22:49

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
私はギャルゲ・エロゲの主人公について不満があるんですよね。
ソレは主人公ではなくて単なる狂言回しだろうと。
極端な話お前じゃなくてもいいんじゃないか? と。
だからこそ、私は「主人公の物語」であるそれを高く評価しているんですが……
実際問題として、多くのそれが「ヒロインの物語」であることもまた事実。
めんどくせえこと考えないで済む日常シーンしかないエロゲが大きな話題にならずに好まれるのはそういうところかもしれない。
三毛招き
2009/04/23 12:32
そういうことなんでしょうね。ただ、その辺はやはり究極的には好みの問題になってくるかと思います。主人公が狂言回しだからこそゲームとして成立する類の作品もあるのかなーと。
勿論ヒロインと主人公、双方が過不足なく掘り下げられている作品は良作である可能性が高いかもしれませんが、さりとて「主人公が描かれていない」からギャルゲー・エロゲーとして進歩がない、価値がない――そういった意見がもし存在するとすれば、そこには違和を感じます。個別の作品論から離れた格付け論は主観に拘束されがちなので、扱いには注意が必要でしょうね。
当たり前の話ですが「物語として陳腐」=「ノベルゲームとして駄目」ではないということ――具体例を挙げることはしませんが、この点は物語に軸足を置くプレイヤーであっても留意すべき点かと思います。
紅茶
2009/04/23 18:38
勿論、そこに留意したうえで「ヒロインが可愛ければ主人公は臭作でいい」「いや主人公がしっかり描かれていればヒロインなぞ案山子でも(ry」という「選択」はむしろ積極的に主張されるべきでしょう。自分の拠って立つ価値観をまず把握することをせずに他人の価値観を一方的に否定する――あるいは恣意的に歪めて解釈する方がしばしば見られるのがこの分野の未成熟なところと思います。
(勿論、三毛招き氏がそういう方だと言っているわけではありません。念のため)
紅茶
2009/04/23 18:48

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