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zoom RSS 雑記「教養としての何か」

<<   作成日時 : 2009/08/03 05:47   >>

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http://twitter.com/atslave/status/2945862416

 こないだついったーでこんなポストをした。
 とある記事に違和を感じたのが発端だった――と思う。
 それ自体はよくある漫画やアニメの紹介であり、良くできた記事だったと記憶している。
 しかし、どうやら僕はその記事にかなり苛々したようだ。このポストとそれに続くポストにそれが如実に表れている。
 何故に?
 どうやら僕は、ブログ記事における「これは読んでおくべき」とかそういう類のキャッチコピーを「傲慢」と感じていたらしい。とりあげられていたものは僕も読んだり見たりしていたものなので、チョイス自体が問題だったわけではないと思う――では、何が問題だったのか。
 多少は冷静になった頭で今考えてみると、どうもそこに漂う「教養としての漫画であるとかアニメ」という感じの推奨の仕方が気に入らなかったのだろう、と――そう思う。
 教育者が教科書を学生に読んでおけ、というのを傲慢とは言うまい。
 しかし、同じような言い方を上記のような作品について用いることに、僕はどうしようもなく違和感を覚える。
 それらの作品が「オタクにとっての一般教養」的な受容のされかたをしている(ものもある)のはどうしようもなく事実であり、一つの作品を超えた広がりを持っていることもまた否定しない。
 しかし――例え一般教養的な捉え方としてであっても、一つの作品を人に奨めるその言葉はあくまで愛情から発せられるべきだと、僕は思う。
 好きという感情を教養という権威にすりかえるのは記事の文章にも権威を付加するためには有効かもしれない――しかし、それはやはり欺瞞でしかないと思うのだ。
 
 ――最も、これはそのまま自分が書く文章に返ってくる言葉でもある。
 また、教養という御旗を掲げずとも、傲慢さが積極的に必要とされる文章が実際に存在するのも確かだろう。
 自分の感覚に対する確信が無ければ、何も伝えられない――そういう事柄は確かにある筈だから。
 勿論、それは一歩間違えば単なるプロパガンダに堕する危険を孕んでいるけれど。
 
 まあ、そんなわけで。
 僕は特定の記事についてというより、むしろ自己批判としてこれを記しておこうと思う。
 正直、僕自身常に徹底できるとは思っていないけれど――少なくとも、自分が好きなものについて書く時は、心に留めておきたいと、そう思う。

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