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zoom RSS 雑記「英雄にして主人公であるということ」

<<   作成日時 : 2009/11/16 05:14   >>

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11月19日、一部に補足。


薬指を痛めた(´・ω・`)

 一時、指輪もはめられないくらいぱんぱんに腫れていた。
 しかしどのみち指輪などはめる機会のない僕に特に問題はなかった。
 キーボード打ちにも薬指はほとんど使わないし。
 箸使うときや皿洗い、車の運転などにはちょっと不便。

 まあそれはさておき。

 ニトロの新作、装甲悪鬼村正である。
 (http://www.fmd-muramasa.com/
 冒頭に「これは、英雄の物語ではない」というフレーズが出てくる。
 体験版もやったが、まあ大方その通りなお話ではあるかと思われ。
 で、そこからの連想。

 「では、英雄の物語ってなんじゃろ? そもそも英雄ってなんじゃろ?」
 
 ――というのが今回の戯言。
 以下、ついったーから転載。

そのいち:完全な英雄は存在しうるか、とか

 >体験版やった限りではあるが、村正はアトラクとえたーなるちゃんぴよんにおけるエルリックとゲイナーさんの鏡として捉えられるのではないかと漠然と考えている。アトラクは蜘蛛だから、というのではなく主として銀と初音の関係性から――というエア戯言。

 >最初から最後まで主人公以外の視点ですすむえろげってあったかしらん。村正一話みたいな感じでずっと進むの
 >不気味な泡としての主人公、とか。


 >英雄的な行動をとった人間がいたとして、彼がもしその行動について自己言及したとしたら、そこにはどんなにストイックな人間であっても自己憐憫あるいはナルシシズムが生じる。これは人間である以上恐らく逃れられない。
 >故に英雄は語り部を、あるいは批評者を必要とする。評価してくれる存在によって、無言のうちに英雄として存在を保ちうる。言い換えれば、英雄とは観察者によって創作される存在である


 >一方で、多くの物語において人としての英雄が語られるのは特に問題ない。他人が語る英雄は語り部の見た英雄であり、あるときは純化され、あるときは人間化される。それはイコールであってイコールでない。
 >ではこの状況下において、英雄とは存在しているのかいないのか、生まれるのか死ぬのか、みたいなことを考えていた。いや仕事もしてましたよ。ほんとだよ。

 データ転送中とか眠くなりますね、ええ。

 >英雄は聖者あるいは教祖に置き換えてもいいんだけども、村正体験版からの流れだったのでとりあえず。

 >まあこれも現状、ただの戯言ですが。そろそろ村正をやるまで狐さんになるべきかな
 ここまで典型的なエア感想ですね。
 村正はそのうち買うよ!
 いつになるかわからんけど(´・ω・`)


 >プレイヤーとは観客であり演者であり同時に語り部でもある、ということなのかなあ、と思っています


 >prayなのかplayなのか、それが問題――とか。
 読者は演じる者として存在するのか、祈りを込める者として存在するのか、みたいな話。

 >宇宙英雄物語は大好きです。
 演じること、演じられる事に自覚的な名作の一つでもあると思う。

そのに:完全であることの不可能性

 >昨日の続きなど。外から見て完全な英雄である、というキャラクターは存在しうる。しかし英雄自らの認識において完全な英雄である、というキャラクターは自己矛盾に陥るため存在できない。自らをそう認識してしまった時点で完全であることができなくなる。
 >これを回避する一つの方法がヘルシングにおける茨の王形態のアンデルセン、読み切り版のZETMAN、あるいはブギーのような「自動的である」ヒーローである。それは他者、あるいは世界の敵に対する鏡としてのみ機能することで完全な英雄であることを維持する
 >しかしアンデルセンが呟いたようにように、「生身のままではなれないからこそなりたかった」存在であるその状態を維持し続けることは非常に難しい。ただし、ある瞬間においてそうであった、ということはできるだろう
 >しかし、人間として死んだ彼のような、英雄への途上にある不完全な存在にこそ僕らは焦がれ、寄り添いたくなる。それは世界の敵たりえない僕らを写すにより適した鏡だから。


 「完全な英雄」は主人公には適さない(かもしれない)という話。
 完全な英雄は自己言及しないから、その内面は想像することしかできない。
 言い換えれば、「完全な彼という存在」を語ろうとすればそれは全て外部からの視点によってそれは創作されるものにならざるを得ない、ということでもある。
 
 かつて「二次創作のほうが主人公を的確に描ききっている」とつぶやいた人がいた。
作者もまた物語と対峙するひとりの解釈者にすぎない――という立場に立てば、この発言も傲慢とは映らないだろう。すなわち「的確な(その物語における理想的な)主人公」とは、物語から導かれる結論から、この主人公は「こうであらねばならない」という原作者・二次創作者・批評者がそれぞれ生み出す仮想の存在である――という立場である。
 最も、その仮想が「完全」であったり「不完全」であったりすることは勿論あり得るけれど。
 
 しかし、そこで展開される論理の「完全性」は誰が担保してくれるのか?
 担保されるものなど無い。この立ち位置においては原作すら「完全で理想的」ではないのだから。
 とは言え、現実にはそうも言ってられないので、そうすると「大多数によって正統な解釈と認められる論理」が擬似的に「完全」である、としておくのが妥当なところではあり、その流れでは当然ながら二次創作は原作それ自身に永遠に勝利しえない、というのもまた致し方のない所ではあるだろう。 
 
 ※読み返したところ、ここは補足が必要と感じたのでちょっとだけ。
  僕はFateも月姫もやっていないのでこの辺は割と印象だけでものを言っているのだけど(ぉぃ
  奈須きのこやその同系統として語られる作家陣の描く主人公、あるいは作中のヒーローに類する人物は所謂英雄の理想像、主人公の理想像を求め続け足掻き続ける存在として描かれている――という認識が僕にはある。
  で、どの作家であれ、あるいは二次創作であれ、そういう理想に到達した存在を描き得たとして、それは所謂プレイヤーあるいは読者とは乖離した存在にならざるを得ず、つまりはゲームにおける主人公≒プレイヤーの分身として描こうとする限り、完全な英雄を描くことは不可能ではないか、いうのが上記「適さない云々〜」を書いたとき頭にあった。これが第一。
 そしてこれは所謂「完璧な英雄」に限らずまた奈須作品に限らず、いかなる物語でも不完全な英雄としての主人公を描こうとした際であっても必然的につきまとう問いなのではないか――というのがそこから続く「こうであらねばならない」云々で言いたかったこと、ということになる。
 「完全とはどういう状態か」という疑問に対し、二つの状況について一つの答えですまそうとしたため飛躍が過ぎる文章になってしまった、ということ。ぼくはあたまいくないですねほんとに。
 さておき、では自己言及する主人公はどうか、となると、これは「公式解」を自ら語る主人公ということになる。
 この場合完全性は失われるが、代わりにその行動原理に対する説得力は向上する。
 上記「正統・公式と認められる解釈」を主人公自ら補強することになるからだが、しかしだとしても読者と完全にその解釈が一致することはありえず、また主人公が自ら嘘をつく可能性も担保されたままである以上、外部からより的確だったり優れた解釈が発せられる可能性はあるし、また当然ながら酷い誤解を生じる可能性も消えない。
 正解があったとしても最適解ではないかもしれないし、誤読の果てにたどり着いた境地が最も主人公を代弁するかもしれない。
 結局、この時点で僕はこの呟きに帰って来ざるを得ないのだけれど。

 >プレイヤーとは観客であり演者であり同時に語り部でもある、ということなのかなあ、と思っています

 >prayなのかplayなのか、それが問題――とか。

 「読者は演じる者として存在するのか、祈りを込める者として存在するのか」

 どちらでもあるんじゃないか、というのが何よりもまず読者でありつつ、創作も二次創作もやりたい僕のスタンス、ということになる、のかな。

 ――というわけで以下の文章に戻る。
 

 
 ――この辺、突き詰めすぎると「全ての創作は神話の二次創作である」とか「全ての批評は作品の二次創作」とか実りのないループに突入してしまうので、まあ、みんなやりたいようにやるしかないんじゃないのかなーとか。
 徒労だとしても過程には実りがあるかもしれない――というのは、そのまま不完全な主人公の姿であり、すなわち投影された僕ら、でもあるのだから。

 おまけとして一例を。
 自己言及によって自ら不完全な主人公であることをわかりやすく描いている作品の一つに「偽物語」がある。
 一部で那須きのこ作品における主人公に対する西尾維新からのアンサー、とも言われた主人公、阿良々木暦の語る言葉は、完全で自動的な正義より不完全な偽物の正義を選択することの、主人公としての理由を示している――とも言えるだろう。
 この辺についてはイリさんの記事から連想した。
「自己評価の低い正義の味方」という主人公像について -化物語とFate/stay nightから- - 散録イリノイア:
http://irimadonna2.blog105.fc2.com/blog-entry-325.html
 二次創作を志向する心性についてもイリさんにはわかりやすい記事があるので、こちらも貼っておこう。
元の絵が禁則事項な作品の二次創作についての試論 -理想の所在とその表現- - 散録イリノイア: 
http://irimadonna2.blog105.fc2.com/blog-entry-328.html

 僕の細切れで飛躍しまくりの呟きよりずっと論旨が明確なので、読むといいんじゃないかな、かな。

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