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zoom RSS 雑記「灼熱の小早川さん」

<<   作成日時 : 2011/10/07 20:06   >>

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 ディストピアを制圧する正義という名の邪悪。


灼熱の小早川さん (ガガガ文庫)
小学館
2011-09-17
田中 ロミオ


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 AURAや「終わらない階段」の流れにあるスクールカーストを扱った青春ライトノベル、と括ってしまうのは簡単であり、実際そう読まれるべき小説でもある。
 すっきりしない読後感はラノベ的カタルシスの欠如というよりはカタルシスを具体的に描写することをストイックなまでに避けたが故、かもしれない。実際確かにスマートなやり方ではあって、一般小説と呼ばれるものを好む層にはAURAの破壊性よりこちらのほうがより受け入れやすいものだろう。
 しかし無邪気さを進んで演じきった前者に比べ、本作にはよりあからさまな諦観が見える。
 具体的には、教師にも親にも、登場人物が(そして作者が)何ら期待を寄せていないこと、そして登場人物の善性をも信頼出来ないものとして描いていることにあるだろう。
 それでもなお一抹の爽やかさを残すのは、その邪悪さすら所詮は一時期の熱病のようなものに過ぎず、時間が全てをやり過ごしていくということを諦観と背中合わせの希望をもって描いているからに他ならない。
 ある者はフィルタリングされ、またある者はフィルタの上に残る――それが例えば全世界的なものであればなるほどそれは絶対の邪悪と呼ぶしかない。しかし、結局のところそれはある一クラスの、たった一年間に起きた嵐でしかないのだ。
 状況は変えられても、枠組みは変えられない。
 しかし、その中で生きるために邪悪さを行使することは、必ずしも躊躇すべきものでもない。
 但し、それは別に邪悪さの承認ではない。単に、やりたいことをやり通したと――それだけだ。
 しかし、スクールカーストを生き抜くためには別にそれも悪くないじゃないかと――そう言っているのはAURAも小早川さんも結局のところ変わらないのだ。
 
 AURAは一面を見れば現実と折り合えるなら幻想を捨てなくてもいいと周りが肯定してくれるお話だった。
 折り合えない現実から逃げなくてすむのは自分と周りが変わったからだ。
 それは善意を肯定する善意である。
 小早川さんは折り合えない現実を刃によって切り捨て更新する。
 折り合えない現実から逃げなくてすむのは折り合える現実に作り変えるからだ。
 それは悪意を否定するもう一つの悪意である。
 
 どちらにしても思うのは――ああ、田中ロミオのスタンスは何も変わってなどおらず、あくまで醒めた目で優しさを再構成してみせる作家なのだなあ、ということ。
 この醒めた目は今まで作ってきたゲームや「人類は衰退しました」にも共通するものだが、個人的にはSF的な構造の作品によりマッチすると思うので、今後学園ものばかり書くようになったらちょっと哀しいなあ、とかそういうことをを考えたりはした。

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