創作「桃泉学園事件簿(3)」

「篠森雛乃/烏丸景/入江靖章」

「……嫌な雨ですなあ。まだ五月だというのに」
会長室にはいつもの三人。
窓の外を入江は見やり、うんざりした口調で呟いた。
「貴方の好き嫌いで天候が決まる訳でもないし」
篠森雛乃は常と変わらず、あくまで冷静にいなす。
「そりゃそうですがね、これでは証拠も流れてしまう。そう思いませんか、会長」
「……何についての証拠?」
「我らが学び舎で起きた連続誘拐事件の犯人についての証拠、ですよ」
「誘拐と言い切っていいものかしらね」
と言いつつも、雛乃も実際の所、ほとんど疑っては居ない。
「一人目は中等部三年、鷲尾珠実。女子寮207号室。デザイナー事務所を構える父母は都内在住。夫婦仲も親子関係も良好。両親も恨みつらみとは縁が無いようで、今日になってもまったく手がかりなし」
だそうで、と入江は指折りしつつ状況を確認していく。
「二人目は高等部普通科二年、四條織江。女子寮120号室。同室の香村環は現在部活動中の怪我で入院中のため不在。そのため、実質行方不明になった当日放課後の行動は不明。所属の図書委員会も非番ということで行動を把握している者は無し」
「こちらの身辺は?」
「家族は現在祖母の一人だけ。父母とは生き別れか死別か……いずれにしても今は居ないようですな。成績はまずまず優秀。学園特待生として奨学金受給中です。一年次から図書委員会で活動……と。中々努力家のようですね」
二人とも、自ら姿を消す理由は表向き皆無。交友関係にも特に怪しげな部分は無し、と風紀委も教師陣もその点の評価は一致していた。
「……二人とも、やはりお金目当ての誘拐ではなさそうね。共通点は無いのかしら」
「仮に共通点があったとしても、風紀委の網に引っかかるようなものではなさそうですね。出身等の繋がりも特に無いようです。趣味も鷲尾嬢がバレエと演劇鑑賞、四條さんは読書、とバラバラですな」
「品行方正で繋がりもない彼女等が、なぜ誘拐犯に目をつけられたのかしら?好みだったのかしらね」
雛乃は写真を見ただけだが、明るく活発そうな鷲尾珠実に対して、内気そうな印象を与える四條織江とでは外見上の共通点も薄いようだ。
「私に聞かないで下さいよ。誘拐犯の嗜好なんて判りませんからね。いずれにせよ数日中に警察は公開捜査に踏み切るそうです。犯人から今だに何の要求も無い以上、致し方ないでしょうな」
「癪ですけど、警察が学園内部に踏み込んでくるのは仕方ないわね。けれど、教師たちが駄目だったものを彼等が見つけられるかしら?」
「今まで敢えて探さなかった所……山、湖、池、森の中の廃棄施設。重点はその辺りじゃないですかね。恐らく本格的な山狩りが行われるでしょう。学園のイメージダウンは避けられないかと」
「貴方、死亡を前提にして話していないかしら?」
「警察は間違いなくそう思ってますよ。残念ながら私も同意です。でなきゃとっくに国外に売り飛ばされてるか、どこかで監禁されてるか、でしょうな」
「貴方、悪い小説の読みすぎじゃなくて?それに、それだと学園内部に犯人がいるかもしれないじゃない?」
「根が悲観的なもので。最悪を予想してしまうとそうなりますな。来年は入学希望者も減るかもしれませんなあ」
「さあ?どうかしら。まあ、そんな心配は理事会と何処かにいる犯人にでもさせておきなさい。貴方たちにはそれより大事なイベントがあるでしょう?」
生徒会の選挙は六月の一大イベントだ。丸一月かけて行われるそれは、憂鬱な梅雨時期においてはお祭りに近い熱狂とともに進行する。
「ふむ、確かに。せいぜい学園の中で思う存分陰謀をめぐらすとしましょうかね」
「あら、選挙に陰謀が必要なのかしら?わたくしは後輩に道を譲るだけですから巻き込まないでね」
実際のところ、これ以上の陰謀など御免だと、ここの三人は思っている。そもそもこの誘拐事件がなくとも問題は山積しているのだ。
「まあ、陰謀は冗談ですが、何しろ会長が代わるのは二年ぶりですからね。学園生が浮つくのも無理はない」
「書記長はわたくしの責任だと言うの?」
「まあ、そう言ってもよろしいかと」
雛乃はちょっとだけ首をかしげる。最も、その顔はあくまで冷静なままで、果たして面白がっているのかどうか。
「で、その陰謀好きな入江君は立候補するのかしら?」
「私が?さて、どのポストが私に相応しいと会長は思います?」
「わたくしが入学する前の慣例では、二年の書記長が会長になるのがお決まりのコースだったようですけど」
「残念ながら、慣例など役にも立ちませんね。今年は何しろ彼女がいる」
彼女、と入江が言うとき雛乃には、極僅かながら嫉妬の色が混入しているように映った。――大抵の人間を密かに軽蔑している彼にしては、珍しい。
「……一年の丹羽さんね。わたくしも噂は聞いているわ」
「ええ、会長の再来と評判ですよ」
「現役書記長では、一年の才媛にかなわない、と?」
「どう見てもルックスで負けてますな」
「そうね。付け加えると多分才能とカリスマ性でも」
「……少しくらい否定するとか褒めるとかしてくれても罰は当たらないと思いますがねえ。これほど会長に献身的に仕えた私に対して」
世にも情けなさそうな顔をしてみせる入江。いつもの演技だろうが、ちょっとだけ本当に傷ついているようにも見える。
「だって、貴方に嘘をいったところで面白くないもの。でも、そうね。今までの業績に対する感謝を込めて、あなたが立候補するなら推薦状くらいは書いてあげますわ」
「涙が出るほど有難いお言葉ですな。まあ、私は今まで通りマイペースで行きますよ」
「でも、わたくしとしてもそんな慣例が復活したらがっかりだけど」
「……まあ、いずれにせよ、彼女が会長選に出るなら私の出る幕はありませんな。おそらく一票も入らないでしょうから」
「そうね」
「……あなたも?彼女に票を投ずるとおっしゃる?」
「微妙な所ね。一年生に対抗馬は居ないし、入江君でも勝ち目は薄いでしょうし。二年で貴方より人気のある人ならあるいは、という程度かしらね。なら勝ち馬に乗るべきだと思わないかしら?」
さすがに酢を飲んだような顔をして、入江は横を向く。
「……ふ、書記長がそんな顔をを見せるのは久し振りね」
「そりゃ、私だって人間ですから傷つきますよ、少しはね。しかし――実際一年生にしてあの人望は大したものです」
「連休前の中等部の事件――あれが大きかったのでしょう。あれで全学年が彼女の事を知ったわけだし」
「とはいえ急速に人気が出た分、やっかみもあるのでは?」
「それは所詮学生の世界ですからね。でもそれ以上に崇拝者がどっと増えたわね。選挙には直接関係は無いけれど、中等部にはファンクラブまであるそうよ」
「ふむ。……では会長から見て、彼女はいかがですか。会長の資質はあると?」
「そうね……とても、いろんな意味で強い子だとは思うわ」
やや口調を改めると、雛乃はゆっくりとその質問に答える。
「強くて、鋭い――刃の鋭さね。でもその刃が実はガラスで出来ているのか、見た目通りの鋼なのかまでは、わたくしには判らないわ。この一ヶ月半でそれほど話す機会があった訳でもないし。――副会長は、どう思うかしら?」
これもいつものように影に控えていた副会長、烏丸景が静かに答える。
「……僕が思うに、彼女は確かに優秀です。敢えて例えるなら……自分の発言を偽りと理解していながら、それを真実として信じ込ませることが出来る人間」
「崇拝者に?それともそれ以外にも?」
「崇拝者以外にも、ですね」
ふむ?と今度は入江が首をかしげる。
「随分具体的ですな。では彼女は本質的には嘘つきだと?」
「例えばの話ですが。ただ、だとしても恐らくは誰にもその嘘を気取られない嘘つき。むしろ嘘から出発しても最終的にはそれを真に変えてしまう……そういう人間ではないかと、僕は見ます」
「……なるほどね。ならば、それは確かにわたくしの再来かもしれないわ」
「会長も、そうだと?」
「ええ。でも、わたくしは今まで嘘など一回も言ったことは無いけれど」
つらっと。本当に無造作に、篠森雛乃はそう断言する。
「……本当に?」
「そういったら、あなたは信じるかしら?」
――三秒ほど入江は雛乃の目を見つめてから、ふっ、と苦笑した。
「なるほど、一本取られましたな。確かに貴方の言葉ならば信じてしまいそうですよ――会長」
でも、副会長は少なくとも、雛乃のそれは常に見破っていた、というわけだ。
なるほどなるほど。嫉妬はしないけれど、さすがは昔から仕えているだけのことはある――と入江は心の中で呟く。
そんな彼に、会長が再び微妙に興味の有りそうな眼をして聞く。
「書記長?仮に貴方が、丹羽『新会長』から書記長として迎える、と言われたらどうするかしら?」
「……なかなか難しい質問をなさる」
「あら、そこで悩むのね。迷わず新しい権力者に尻尾を振るものだと思ったけれど」
「……少なくとも選挙の前日までは、私の忠誠は貴方だけのものですよ、会長」
「まあ当然ね。信頼していますよ、入江君」
相変わらず表情は動かないけれど、それでも会長が「笑って」いることぐらい入江にも判る。
結局、烏丸も自分も、彼女あってこその存在なのだ。それは自分の心に聞いても間違いない話――と、彼は甘さと苦さを同時に感じつつ思う。
「……こんなときだけ姓で呼ぶのは卑怯ですな、会長」
「わたくしは必要なものは全て、最後まで大事に使い尽くすつもりよ。でも、彼女はどうなのかしらね?」
「……解りませんな」
と、しか入江には答えようがないのだった。
まあ、それはそれとして、と雛乃は話題をようやく変える。
「入江君。あの件はどう?」
職名でなく入江と呼び、「あの件」と具体名を避ける一件が何か。無論入江は理解している。
「ええ、先日追加されたあの件ですな。そちらも独自に調査中です。流石にその件で風紀委は使えないので、とあるルートから口の堅い人間を回してもらいました」
「今一度断っておくけど、調査人に複数の線から危険が及ぶ可能性があるわ。素人学生は駄目よ」
「紹介者によれば、その辺は折り紙つきだそうですよ。お父上側に対しても秘密は厳守するとのことで……」
「……そう、解ったわ……ところで、入江君」
「なんでしょうか?」
「人が貶められる時、『生まれてこない方が良かった』と『死んでいたほうが幸せだった』どちらがより堪えるものかしらね?」
唐突な質問だった。あくまで、無表情なまま。今度は――入江にも、解らない。文脈が読めない。
「……なぜそれを私に聞きます……?」
「経験があるかと思って」
「無いですよ!大体私は今幸せですからねえ」
「そう……その年でもう死んだも同然の人生を送っているわけね。ご愁傷様」
くすくす、と会長は珍しく笑った。そこだけは、心底嬉しそうに。
「……まったく。会長でなければ、温厚な私でも怒るところですよ」
なので、入江もまあいいか、と思う。
「ええ、知っているわ」
「……いずれにせよ、あなたも多分に幸せな方ですな、会長。失礼します。選挙前でも仕事はきっちりやりますので、どうかお見捨てなく!」
「当然ね、と言いたい所だけど――有難う。今日はご苦労様」

一礼して入江が退席した後になってから、雛乃は景だけに見せる憂いを帯びた表情で呟く。
最も、自らの憂いすら冷静に楽しんでいるように見えるのは、彼女の持つ絶対の自信――いや、己に対する確信からか。
「……ちょっと怒らせてしまったかしら?」
「書記長はあれで自分の感情の動きを楽しんでいると思いますよ。会長のご希望通り」
「彼にはMの気があるのかしらね」
「単に会長の人徳かと」
「なら良いのだけれど」
「……とあるルートとは、天橿の手の者の事ですか?」
「ええ。彼等の行動には例え本家でも口を挟めないわ。大丈夫」
「……確かに、彼等は契約を何より重視しますからね」
「彼等のことはともかく……副会長、貴方にも人を集めて欲しいのだけれど?」
「は。誘拐の件ですか、あの件ですか」
「どちらでもないわ。当初の問題についてよ」
「……一号書記の件と、風紀に追わせている件ですか」
「そういう事。任期中に二つとも片付けてしまいたいのよ。誘拐は警察の、あの件は篠森の問題だけど、この二つはあくまで学園内部の問題ですからね。丹羽さんにこんな宿題を残していったのでは、私の名折れというものだわ」
雛乃の眼がやや細められる。それは間違いなく女王の誇り。……そう、誰にも彼女の王国に、文句をつけさせはしない。
「それに――こちらを洗っていたら、ひょっとして別件とも思わぬ繋がりがあるかもしれない。ならば警察に先んじておく価値があるわ」
もし問題があるのなら、全て洗い出して白日の下に晒してみせる――それが、王国を綺麗な形で受け渡す前の、最後の仕事。
「……了解しました。実を言うと、そろそろ会長も風紀委以外の人材を使いたがるかと思っていましたので、もう当たりは付けてあります」
その口調にわずかに笑いをこらえる色を感じ取った雛乃は、じろり、と景を見直す。
「そう、流石ね副会長……でも、一応聞いておくけど、誰?」
「会長もご存知の人物の紹介で」
副会長は先ほどの雛乃のようにしらっと答える。……それで、彼女にも予測がついてしまった。この男がこんな楽しそうにするのは、雛乃を驚かせられると確信しているときだけだ。
「……ちょっと待って。貴方、まさか甲斐を使う気じゃ」
「鋭いですね。会長」
雛乃は今日初めてうろたえた。……よりによって、最悪の男を!
「ちょ……ちょっとお待ちなさい景!そもそもあの男はまだ停学中よ?」
副会長の呼び名も景に変わっている。ここまで動揺を隠さない会長を入江が見たら仰天するだろう。
「ご安心下さい。本人ではなく、彼の所属サークルに将来有望な一年がいるというので紹介してもらいました。写真を見た限りでは、甲斐君と違って真面目なようですし」
「あんな男に君付けは止めなさい。……大体、見た目真面目でも中身もそうとは限らないわよ。入江を何年見てるの」
書記長、非道い言われようである。まあ、槍玉に挙げられた一年生も、その評価を聞いたら当たってる、と言ったかもしれないが。
「まあ、僕が直接会って確かめますので、駄目なら連れてきませんよ。まあ、そのかわり甲斐君に色々動いてもらうことになりますが」
どんどん外堀が埋まっていくのを感じつつ、雛乃はこれも珍しい溜息をつく。
「……はあ。貴方、わたくしが甲斐の停学を解くのを期待してるんじゃないの?」
「僕も甲斐君の行動は予測不可能ですから、そのつもりはありません。彼の発想は駒として使うには突飛すぎると思っていますよ」
そう、桃泉学園に人は多いが、篠森雛乃をうろたえさせた挙句盛大な溜息をつかせるのは確かに甲斐恭一ぐらいのものだ。
得難い存在ではあるが……同時に、野放しにしてあれほど危険な存在もない、とは二人に共通する認識だった。
「……その一年に任せて大丈夫なのね」
「もし、不安であれば会長自ら面接なされば良いかと」
そういわれると、実際に見る前から反対する理由もない。それに何より、雛乃は景の観察眼を自分の眼以上に信用していた。
そもそも入江を有象無象の中から発掘して、書記に立候補させたのも彼なのだ。
「……いいえ、そうね。景の目にかなうのであれば、甲斐を使うよりは百倍ましでしょう。任せるわ」
「有難うございます、会長」
あくまで慇懃に烏丸景は一礼する。
絶対の信頼と同時に存在する絶対の距離。
それが彼と彼女の関係を生まれたときから規定している。
だが、入江と同じく――或いはそれ以上に、彼もまたそこに居ること自体を楽しんでいた。
それが、篠森雛乃という恒星が持つ離れ難い引力。
だから最近、彼は思うことがある。
丹羽桜子という少女は、まるで雛乃の再来のようだという。
ならば彼女もまた、雛乃にとっての自分のような誰かを、いつか手に入れるのだろうか?
それとも――すでに?


「夏目小太郎/柳思鈴/入江ミナ/篠森鳳四郎/蒲原一生」

「――と言うわけで小太郎、あんた行ってくるよろし」
と、あまり広くない部室で俺にあっさり告げたのは真っ赤なチャイナ服の少女。
「嫌です!なんですかいきなり生徒会の手伝いって」
今は放課後とは言え、なんだってこの人はこんな派手な私服をサークル棟に持ち込んでいるのだろうか。
「ささやかな自己主張ね。でないとなんでこんな喋りしてるかこの馬鹿と思われるね」
「意味不明です、柳さん」
ちっちっち、と少女は指を振って俺を全否定。
俺より小柄なくせに威圧感バリバリのこの人は柳思鈴。
下の名前はスーリンと読ませるそうだ。サークル唯一の二年生である。
噂では大物華僑の血をひくらしいが、何故このサークルにいるのか、そもそも何故この学園にいるのか俺は全く知らない。
二つに分けて編んだ長髪は頭の上でお団子状になっている。色白の肌、切れ長の細い目の中でくるくると良く動く黒い瞳と、大体いつもつんとした表情。
口さえ開かなきゃエキゾチックな美少女で通る人なのだが、その性格と毒舌は俺が知る女性の中でも某保健教師と数学教師に次いで酷い。
要するに最悪レベルだった。ちなみに俺は食らったことがないが、八極拳だか八卦掌だかの達人らしく、甲斐部長をKOすることもしばしばだとか。
「口答え無用ね。停学中の部長のせいで生徒会には借りがある故、とっとと承諾するよろし。断ると電気止められて部室追い出されるね」
今はここに居ない迷惑発生器、甲斐恭一とも仲が良いやら悪いやらよく判らない。
新人歓迎会の最後では停学前の部長と路上で真剣に果し合っていたので、所謂喧嘩するほど仲がいい、という事なのだろうとは思う……のだが、最近は口を開くと部長をけなす発言に終始しているので今は冷戦期間なのかもしれない。
「甲斐さんの尻拭いですか?なおさら嫌です!入江先生もなんか言って下さいよ」
ハア?と保健教師ミナ・入江は壁際のぼろいソファに陣取って、ぬるくなった茶をすすりながら実に面倒くさそうに返す。
「んー。でもスーリンは一度方針決めたらまず変えないしねえ。ま、てけとーにやってこいや?」
仕事モードでないせいか、保健室に居るときより一層口調がぞんざいだった。
どーでもいいじゃんあたしにゃ関係ないし、と全身で主張しているところがもうアレだ。
「うわーやる気出ねえ……」
つーかやっぱ駄目だこの人。
「……じゃあ一生さんや篠森先生はどう思ってるんですか」
「うーんー。まあ、しょうがないんじゃないかなー。それより夏目君、このコーヒー飲んでみないかい」
「……とりあえずコーヒーはしばらくお断りします」
これは、流しの前でさっきからコーヒーメーカーをいじくっているほーさん。
なんか今日も飲んではいけない予感がしたので従うことにしたが、がっかりした表情を見るに当たりだったようだ。
「俺からもお願いするよ。甲斐のためとは言わないが、サークルのために一肌脱いでくれないか。……電気止められるとちょっと不便だしね」
最後に苦笑しながら静かに三年の蒲原先輩、俺は大体「一生さん」と呼んでいる――が締めくくって、俺の逃げ場は全て消滅。
「一生さん、自分が行くとは言ってくれないんですね……」
サーバー並みにごつい自作PCの前で一生さんは肩をすくめる。サークルの会計やデータの管理は全てこの人が片手間でやってくれていた。
一年休学していたので、もう卒業している年ながらまだ三年生。千鶴のお兄さんではあったが、俺はまだこの人については知らないことの方が多い。
「無論、俺たちもバックアップはするが、君が一番動けると思うし……何より甲斐の指名でもあるからね」
うんうん、とみんな揃って頷く。こんなときばかりなんだこの連携の良さ。
「決まりね小太郎。日曜日の朝十時、正門前のバス停まで行くよろし。迎えが居るはず」
「決定なんだ……」
「往生際悪い人は地獄に落ちるね。しっかり稼いで善行積み上げてくるよろし」
柳先輩がこの時とばかりに天使のような微笑をみせる。が、その表情を見れば俺の人権と別のものが重視されてるのは一目瞭然だった。
「……目の中で銭が踊ってますよ先輩。生徒会から報酬が出るんですね?それで俺を差し出したわけですね?」
「うん。うちは去年からずっと活動費、支給停止されてるからね。運営維持のために頑張ってくれたまえ」
とこれは一生さん。……うん、って。
「……えーと、つまるところ俺はカネで売られたと。基本的人権を否定されましたと」
「「「「人聞きが悪いなあ」」」」
「違うんですか?」
「…………」
みんな何故目をそらす。
「……こんなサークル、いつか絶対辞めてやる辞めてやる辞めてやる……」
「まー、ぶつぶつ言ったってもう決まりっぽいし、部室無くなったらお前はともかくあたしらが困るし。酒代くらいは稼いでこいや、な?」
どずーんと落ち込んでいる俺を前に、他人の事など本当にどうでもよさげにミナがひらひらー、と手を振る。
……なんか、さっきまでと飲み物の色が変わってるんですけど。
「どうせ先生が全部飲んじゃうでしょうが。嫌ですよ大体今呑んでるの何ですか!俺にも下さいよ」
「おお?未成年が教師の前で酒飲んでいいと思ってんのかこら」
鎌かけてみるとあっさり中身をばらした。駄目だ本当に駄目だこの人。
「……教師が生徒の前で堂々と酒飲むのもどうかと」
「今は勤務時間外ーっと。一杯のワインの旨さが解らん奴は、話のわかる大人になれないぜ夏目くん」
「……ただの駄目な大人にしか見えないんですけど」
「やあ、入江さんが飲んでるのは実は僕が去年仕込んでおいた奴でね。中々ワインの感じが出てるよ。蒲原君とスーリンの分でその瓶は終わりだけど、まだ別にあるから君も味見してみるかい?」
……鳳四郎の言葉に、ミナはゆっくりと彼を見直した。
手には既に空になったワイン瓶が握られている。
つか先生、もう飲み干したんですか。
「……ねえ、ほーさん?これ、ラベルと中身違うのかい?あんたがくれたこれって――」
「ああ、味を再現するのに非常に苦労したよ。何しろ三十種類の果樹から一番カペルネ・ソーヴィニヨンに味の近い混合比を――」
ぱきゃああああん。
「それを先に言えこの阿呆がッ!」
かなりの速度で瓶が飛んだ。
幸い中身は空だったけれど、直撃したほーさんが頭から血を噴いたのでミナはその場で応急処置をするはめになった。
……まあ、どっちが自業自得なんだか判らないオチだが、少なくとも割れたガラスを片付けてる俺は何も悪くないはずだ。
悪くないのに何故俺がこんな事をしているのだろう、と思うとなんか目から水が出てくる気がするのでなるべく考えないようにしよう。
「……美味しいある。鳳四郎、こういうどうでも良い事だけは得意ね」
「よく出来てるね。原料は知らないほうが良さそうだが」
ぶつぶつ言いながら手当てするミナを横目に、スーリンと一生さんは何事も無かったかのように味見して感想を述べていた。
……そんなわけで。
結局俺の人権を訴える叫びは誰にも届くことなく。
俺はこのろくでもない話に、頭から飛び込む羽目になったのだった。


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