創作「A Change Of SeasonsⅡ」

-ChapterⅡ-

第一章「The Devil stole the beat from the Lord」

「……で、その頭ふっ飛ばしてまわってる野郎は今や『胡桃割り』のあだなで呼ばれる有名人ってわけだ」
そう少年は熱弁する。それなりに真剣ではあるらしい。
「――これまで四人やられてる。で、昨日殺られたのは俺のダチなのよ」
ここまで言えば言いたいことは解るよな、探偵さん――そう少年は結んで、期待した目で対面に坐る男を見た。
「……ニュースでは、彼は麻薬の売人だったそうだが」
予想はつくものの、正直、男にとって有り難い依頼ではない。
たとえ今月に入ってから初めての依頼人だとしても。
――ああ、迂闊に自分で電話を受けるのではないなあ、と心の中で嘆息する。
「ああ、あいつは俺等以外にも、ロクでもない連中と付き合ってたよ。そりゃ確かだ」
そのせいか、確かに銃警の動きも今回は鈍いようだ。
だけどよ、と彼は口をゆがめて吐き捨てる。
「だからって、俺たちがあいつの仇をとって悪い法はねえ、そうだろ?」
「……警察に任せてはおけない、と?」
やっと本題に入るようだ。
「そういうことだ。あんたへの依頼はこのイカレ野郎をとっとと見つけておれたちに警察より先に知らせること――それだけだ。怠け者の銃警どもに代わって、正義ってやつを実現するのを協力してくれよ、ええ?」
カネはあるからよ、と赤毛の少年は得意そうに言う。
残念ながら、探偵はちっとも嬉しくない。予想通りすぎて驚きも喜びもなかった。
「――正義、ね。勇ましい言葉だが、実際はと言えば私刑の正当化だろ?」
少年の目つきはそれなりに真剣だ。しかし所詮、友情は口実にすぎないのだろう――と、どうしても思ってしまうのは自分がひねくれているからだろうか、と探偵は考える。
だが、その言葉に彼ら全員の目の色が変わる。
「……どういう意味だよ。馬鹿にしてんのか?ああ?」
赤毛と周りの少年たちが立ち上がろうと腰を浮かせたその時――先に男は動いていた。
「やる気かてめっ……いてっ!いてててててぇっ!」
短く溜息をついた探偵は、片手で赤毛の腕を掴むと軽く捻った。
それだけで身体がくるりと後ろ向きに変わり、仲間と向かいあう形になる。
「暴れるなよ――部屋が傷む。お前らと違って勝手に治ってはくれないんでな」
そのまま立ち上がった男は、いきり立つ取り巻きを静かに制止する。
「動くとこいつはしばらく箸も持てんぞ」
赤毛は痛みで呻いた。ほとんど力を込めているように見えぬにも拘らず、彼は後ろに回された手を振りほどくことが出来ない。それどころかわずかに動くだけで激痛が走る。
「さてお子様方。一つ教えといてやる――権利ってのは、ただの言葉に過ぎない」
殺気立つ取り巻きをもう一度やる気のない視線でねめつけ、探偵はゆっくりと言葉を続けた。
その口調は激しくはないが、どこかに反論を許さぬ芯があった。
わずかでも彼らに人の言葉に対する感受性が残っていれば、煉瓦の塊をぶつけられるように感じたかもしれない。
「つまり――好き勝手やるのがお前らの権利なら、それを気に食わない奴がお前らの頭を吹き飛ばすのもまた、そいつの権利ってことだ」
しかし――残念ながら彼らに聞く耳はないようだった。
「野郎――っ!」
一斉に殴りかかってくる。
――しかしまた一瞬の後。
今度は全員が吹っ飛ばされた。
「げう」これは頭をぶつけた者の声。
「……」気を失った者。
「うえっ……」眼を回した者。
皆一様に、何が起きたのか判っていないだろう。
正面から見ていた赤毛の少年にも判らなかったが、彼の中の何かが告げた。
……こいつ、ただの草臥れた探偵じゃねえ。
「な……何しやがった?」
こいつは、ずっと俺の腕を掴んだままだったのに。
さてな――と探偵はいきなり赤毛をくるり、と裏返し、胸をすとんと叩いた。
軽く小突かれた程度のはずなのに、彼はなぜかバランスを容易く崩す。
同時に足を払われた――と彼が気づいたときには遅かった。
視界が斜めになり。
彼は背中から床に叩きつけられる。
天井を見上げるかたちになった彼の視界に次の瞬間、冷めた眼をした探偵の顔が飛び込んできた。
探偵はつまらなそうに、ぼそりと告げる。
「もうひとつ教えてやるとさ……俺もお前らみたいなのは気に食わんのだなあ」
赤毛の少年に反論の時間は与えられなかった。
探偵は薄い手袋をはめた手で彼の襟首を掴むと、上からわざと高圧的に見据えゆっくりと噛み締めるように聞かせる。
「徒党を組みリンチ三昧ドラッグ脱法品売り放題、レイプ窃盗も日常茶飯事――そんな中で友達ごっこをやってるような連中が正義を語るな。死んだ奴は気の毒だったが、お前たちの被害者が聞いたら言うだろうさ。ざまあみろ――とな」
くそっ、とようやく赤毛は言葉をしぼり出した。叩きつけたせいかまだ胸が痛いらしい。
「俺たちは……そんな真似はしねえ」
「だがお前のダチとやらはやってたな――それすら知らなかったとは言わせんぞ」
「…………てめえ」
「――一応、これでも探偵なんでな。新聞に書いてある以上のことは知ってる」
「……てめえは『胡桃割り』のあとでぶちのめしてやる。憶えてろよ」
「あいにくと、記憶力には自信がなくてなあ」
しれっと探偵はのびている連中を顎で示し、連れて行け、と告げる。
「こいつらをとっとと連れて帰れ。でなきゃ器物損壊で警察を呼ぶ」
「先に手出したのはてめえじゃねえか!」
「警察がお前たちと俺、どっちの言葉を信じると思う?、」
「……汚えぞ畜生!」
「大人の対応だ。勉強になったろ?」
畜生、ともう一度呟くと赤毛はがば、と立ち上がる。
気圧されたと思いたくないのか、動作は大げさだった。
「てめえらとっとと起きやがれ。引き上げるぞ!」
一人を叩き起こし、その少年と二人で残りの気絶した仲間を連れてそそくさと出て行く。
「……憶えてろよ糞探偵!」
ご丁寧に捨て台詞と一緒に唾も吐き捨てていった。
まあ、嫌になるほどお決まりの反応だが、探偵にとってはそのほうが今後の予測が立て易くて良い。
……筈だったのだが。
ぱちぱち、と部屋の中で拍手が聞こえた。
「……?」
――何故か、一人だけまだ残っていた。
壁に寄りかかるように立っている少女。
入ってきたときは影に隠れていたのだろうか。探偵にはそこに居た印象がなかった。
少女は好奇心の閃く眼でこちらをのぞき込むように顔を前に出し、にか、と笑ってみせる。
歯並びはあまり良くないが、それ以外は時代遅れのヤンキー的要素満載な少女としては割と可愛い部類に入るかもしれない。栗色に染めた枝毛多めの髪に派手めなパーマがかかっているのがどうしようもなく似合ってないのを除けば、化粧も比較的普通だ。
「柊探偵事務所所長――柊匠、でいーのかしらん?憶え易くていい名前じゃない」
「……お前は、なんで帰らない?」
「んー……なんでだろ?」
首を大げさにかしげるその顔は笑っている。
「アンタかっけーなーとおもってさー」
へっへーと笑う少女。
明るい声だがどこか調子がずれている。
「ラリ小僧か。そのうち歯が溶けるぞ」
「だいじょうーぶー!シンナーもケミカルもやってないよー」
口調は少々間延びしている。ハイというよりは軽い酩酊に近いようだ。
マリファナかダウナー系の天然ドラッグか、と当たりをつけた
「大体小僧はねーだろさ?花も恥じらう乙女に向かってさぁ」
……乙女ね。どうせ××××だろうが、と聞こえないように呟いたはずだったのだが。
「ふっざけんな糞探偵!あたしはこれでも一途なのよ出るトコ出れば高く売れるのよっ!売らないけどねー!」
どうもしっかり聞こえていたらしい。真面目に怒っている。
ずいぶん古風な不良だ。とりあえず「売り」はやっていない、ということらしいが。
一昔前のドラマにでも出てきそうな外見と発言――と、そこでふと疑問に思う。
先ほどの存在も言動も紙のように軽薄な連中とはどことなく違和感がある。
「なんであんな奴らと一緒にいる?」
「え?……うーん、とぉ」
少々バツの悪そうな顔で口ごもる。
「クスリもあっけどさ。アンタにしぼられた赤いの、あたしの兄貴なの」
はあ。あれか。あまり似てないな。
「兄貴もあたしがいるときはまだマトモなのよう。大体兄貴はいっつも面倒見良すぎんのよ。今日だって取り巻き連中、最初はあんたを脅して無理やり探させようとか馬鹿なこと言ってたのよ。金が惜しいからって」
取り巻きの空気頭ぶりを見るに、確かに難儀そうではあるが。
兄妹そろって実は人がいいのだろうか。
「あれ、本気なのか?『胡桃割り』を私刑にかけたいってのは」
「兄貴はね。こないだ殺された人、昔からの友達だったんだって」
まあ悪友ってやつみたいだけど、と少女は短く笑う。どことなく突き放した空気があった。
「あまり評価していないようだな」
「えー?ああ、死んだ人のこと悪くは言いたくないけどお。クスリの売人だったし、あたしに強いの勧めようとするから嫌いだったわ。兄貴もあいつからは買うなって言ってたんだけど、あいつはいっつも兄貴がいないときに連絡してくるからヤだったのね」
「――とりあえず、ドラッグはきっぱり止めるんだな。中毒になったら軽重は無いぞ」
「だーイじョうブー。あたしは強いの手ぇだしたことないしー」
そういう奴が一番流されやすいんだよ、と返す。
「どっちにしても今日はもう帰れ」
あの兄貴に迎えに来られちゃたまらない。
「いいじゃん。どうせ暇なんでしょ?繁盛してそうに見えないもん」
「真実はしばしば人を傷つけるって学校で習わなかったか?」
「傷つくようなやわなヒトなの?あ、奥もあるんだ。見ていい?」
「勝手に家捜しするな。それに――あ」
「あ?」
匠が漏らした声に反応し、少女は奥の部屋で何かが動いたのに気づいた。
ちらっと扉のそばに小さな人影が見えたかと思うと――次の瞬間、ささっと隠れる。
「……誰?アンタの子?」
見たのか。面倒くさいな。
「ただの助手だ」
匠としては説明するのも手間なので見つけないでいてほしかったのだが。
「あのぉ。あの子顔を半分だけ扉から見せてこちらを観察してるんだけど……怖がり?」
「答える必要はない。それに俺はまだ二十四だ。あんなでかい娘がいてたまるか」
「へ?その顔で?アンタ年の割りに老けてんのねー。苦労人?」
余計なお世話だ、と匠は思った。
――苦労はまあ、それなりにしてるかもしれないが。
それとも、と何かに気づいたように彼女は口に手を当てる。
「はっ!アンタ、もしやロリコン?いたいけな女の子を騙して?」
「絞めるぞ小娘」
こんな会話を続ける必要は全く無いと思うのだが、この誤解を放置しておくと後ほどいろいろ問題が生じる気がする。
「あたしは葉月って立派な名前があんのよ犯罪者」
「違うと言ってるだろうが!もう一度言うと本気で絞めるぞ」
しかしこの娘には一向に誤解を修正する気がないようだった。
「やーよ。ふーん……ね、名前なんてーの?君も探偵さんなのぉ?」
ひょこ、と顔だけが出てくる。
じとり、という表現が似合う目線で匠と葉月を交互に見る少女。
「……呼んだですか」
「よんだよーあははー」
「呼ぶな!お前も顔出さなくていい」
しかし顔はそこから動かない。左半分だけで匠をじっと見ている。
お願いですから紹介して下さいやむしろ今すぐ解り易く四百字以内で説明しやがれ、と眼が言っている――ように思えるのは匠の被害妄想だろうか。
こうなると、こちらが折れるまで梃子でも動かないのは経験上知っていた。
匠は一つ溜息をついて彼女を招くと葉月と名乗った娘に紹介する。
「助手の灰村弥生だ」
彼女はとことこ、という擬音が聞こえそうな足取りで扉の影から出てくると、ぺこりと葉月にお辞儀をした。
――正直、礼儀正しさを無駄に浪費していると匠は思ったが。
「あら、月名つながりじゃん。三月生まれなの?あたしより年下っぽいけど年いくつ?」
「中学は出ている。高校は行ってない」
「あら、高校生ならあたしと同じくらい……って行ってないの?なんで行かせてあげないのよアンタ!甲斐性無いの?」
葉月は畳み掛けるように匠を糾弾する。
「てゆーかまだ中学生じゃないのぉ?こーんな可愛いのにさ。あ、あたしは柳沢葉月。さっきの馬鹿な赤毛は太一っていってあたしの兄貴ね。御免ねーうるさかったでしょ?」
「こちらの懐をいちいち詮索するな……それから一気に言いたいことだけ言うな」
匠は反論してみるが葉月は一向に意に介さない。
中々ふてぶてしい娘だ。
「そーんな言い方したらますます気になるじゃなーい。ねえ、何で?」
弥生は少し首をかしげた後。
「――私は、体が弱かったので」
とだけ答え、いずこからか取り出した三人分の湯呑みをテーブルに置いた。暖かい緑茶の香りが鼻をくすぐる。
どこから出したんだ、と言うかそもそもいつの間に茶を淹れたのだろうと毎回思う弥生の手際だった。
「あ……ありがと。えーと……いただきます」
葉月も、弥生の返事といきなり出現したお茶に少々意表を突かれたのか、おとなしくなる。
無言でもう一度お辞儀をする弥生だが、表情はすこし柔らかくなったようにも見える。
普段は絶望的に人見知りの激しい子なのだが――正直、珍しいこともあるもんだと匠は思った。
さて、それから時間は過ぎて。
「いくつなの?エー、あたしとおんなじ?うっそー?」
茶を吹き出しかねない勢いで驚いている葉月。
いつのまにか完璧なまでに場に馴染みまくっていた。
「気にしたら悪いけどー、最初見たときには三つか四つ下かと」
いや四つ下は小学生だろう。
さすがにそれはどうかと思う。
「私は、ほかの人より幼く見えるらしいのです」
こくこくと茶を飲む合間、弥生は葉月にぽつりぽつりと自分のことを説明していた。
そんな弥生を見て、まあ……小学生でも通用するか、と納得する。
「今は匠さんにお世話になって勉強しているのです」
「高校は?行きたくないの?」
「……今でも定期的に病院に行く必要があるので」
「ふーん。大変なのねえ」
いつのまにか話が二人で弾んでいるようだ。
あまり匠にとって良い展開とは言えないのだが。
「ねー、匠」
やっぱり。いきなり呼び捨てだった。
「お前に名前で呼ばれる理由はこれっぽっちも存在しないんだが」
「いいじゃん別に。親密さの証よぉ」
「良くない」
お前と親密になった覚えはない、と言おうとしたが弥生の視線を感じたのでやめた。
「アンタもいいとこあんじゃん」
ばしばしと背中を叩かれた。けっこう痛い。
「お前はどこの親父だ。そもそも何の話だよ」
「なんでもないわよーん。じゃー弥生ちゃーん、また来るね?」
「来るな。絞めるぞ」
半ば本気、半ば冗談だったのだが――葉月は割と真面目に困った顔をした。
「……駄目かな?」
ん、ちょっと言い過ぎたか?と匠は弥生のほうを見る。
……極低温の視線で睨まれた。
なんてこと言うんですかこの駄目親父は、と眼が言っているように思えるのは――被害妄想か単純に真実か。
「また、どうぞ」
はっきり、弥生が答えて微笑んだので、葉月にも笑みが戻る。
雲に覆われた空がさっと晴れたような、明るい笑顔だった。
「あんがとー!じゃーねー!」
葉月はそう言って足音をたかたか響かせて去っていった。
「最後まで騒がしい奴だ……なんだか疲れたな」
匠はソファに体をうずめたまま伸びをする。
弥生が湯飲みを片付けたあと彼のかたわらに立つと、顔をじっと覗き込んで言った。
「……すわっていいですか。質問があるのです」
何故か妙に真剣な眼をしている。
「……どうぞ」
すとんと隣に腰を下ろし、首を傾げて――あの、と聞いてきた。
「匠さん、ろりこんって何ですか?」
全力でむせる。
弥生の眼は真剣だ。本気で知らない……のか。
まあそうだよなあ、と匠は思い返す。
数年前まで半ば隔離されていたような生活を送っていた彼女は、世情には極めて疎いのだ。
「あー。その言葉は別に覚える必要はないんだぞ」
弥生はきょとんとしている。やはり本当に知らなかったらしい。
教育を誤ったと悲しむべきか、あるいは成功したと悦ぶべきなのか――匠は少々悩む。
「少なくとも俺はロリコンじゃない。それより、あの馬鹿娘が気に入ったのか?」
「葉月さん、です」
弥生はまたじとりとこっちを見て呼び方を訂正する。二つ目の駄目出し。
「……そうだったな。で、何か理由が?」
「よく分かりません。でも、わるい人ではなさそうです」
そこで首をかしげる。
「……たぶん?」
少々自信が無くなってきたらしい。
「ああ、そうだな」
ぽん、と弥生の頭を軽く叩く。
「弥生がそういうなら、間違いないだろう」
「…………」
弥生は黙り込んだ後、話題を変えた。微かに、頬の赤みが増したようにも見える。
「匠さんは今、わたしがわるい人といったとき、ちょっと変な顔をしました」
ああ確かに、悪人の定義――それは常に再設定する必要がある。
弥生のような存在にとっては、特に。
「理由を教えてほしいのです」
知りたいのか?と問うと、弥生は短く頷いた。
「……例えば、弥生にとって、悪い人ってどんな奴のことだろうな」
「匠さんを傷つける人です」
即答だった。
「弥生を傷つける人は?」
「嫌ですけど、それだけでは悪いかどうかは判らないのです」
これも即答。ん、と匠は弥生の頭に今度はそっと手を置いた。
「なあ、弥生。お前が傷付けられたとしたら、俺には自分の事より腹が立つ。だから、お前を傷つける奴は俺にとって悪人だ」
こくり、と弥生は頷く。
「だが、お前は相手が悪人なら傷つけてもいいと思うか」
弥生はやや考えたが、きっぱりと答えた。
「匠さんを傷つける可能性があるなら、行動不能にする必要があります」
「それも少々訂正したいところだが……まあいい。だが、相手もそう思うかもしれないことは覚えておいて欲しい」
弥生はまた首をかしげた。額に疑問符が出ている。
「相手にとってもお前が『悪人』になる可能性が常にあるということだ。そのときに何を優先するか」
いいか?と匠は続ける。
こくこく、と弥生は頷く。
「第一にお前の命、次に依頼人とか俺や仲間の命だ。……まずお前が生き延びることを何よりも優先しろ。返事は?」
弥生は答えない。やや釈然としない色がある。
「依頼人と匠さんの命はどちらを優先すべきなのですか」
「探偵としては依頼人――と言いたいとこだが、俺はそこまで真面目じゃないんでな。状況に応じて、とでもしとくか」
そこでようやく頷いた。何かに納得したようだ。
「状況に応じて、ですね。……分かりました」
匠としては、いずれにせよ、無関係の人間を巻き込むような事態は出来るだけ避けたいのだが、今後どうなるかは判らない。
何しろ――
「それと、しばらく身の回りに注意して過ごせ。胡桃割りの件が気になる。ひょっとすると、あの件絡みかもしれないからな」
「――前に言っていた『選別』のことですか?」
弥生の顔にわずかに影がさす。安心させるように、匠は彼女の頭をまたぽん、と叩いた。
「そうでなければいいと思っているんだが、な」
まだ「選別」――ステアウェイの開催までには間があった――筈。
しかし、もし今回の事件がそれに関わっているのであれば。
いずれ彼女は「悪い人」以外とも戦う時が来るはずだった。
この、まだ心も体も未完成な少女が。そして――その時はこの自分もまた、己の手を。

――彼等の血にて、汝等肉を贖い魂に罪を刻め。
   其は汝等の十字架にして聖痕、呪詛にして祝福也。


一瞬だけ匠は眼を閉じたあと、弥生に告げた。
「準備だけはしておいてくれ。――戦えるように、な」
とりあえず噂が確かなら、少なくとも胡桃割りは「悪い人」の方で間違い無いだろう。
これが初陣になるのなら、相手としてはまだましな方かもしれない。
遠慮も躊躇も無用、というただ一点において――ではあるけれど。
「――はい」
今度は、弥生も躊躇わず、頷いた。

――彼は街をひっそりと歩く。
まだ夜風は時に肌寒く、目深に帽子をかぶりジャンバーを羽織っても目立ちはしない。
しかし帽子の奥で、彼の眼は常に希望に輝いている――何故か。

 今日も明日も明後日も、又次の日も私は進み、罪人を裁き信仰の証とするだろう。
 その果てに穢れた巣穴から悪しき蛇が姿を現す、その日まで。


彼の任務は明確だ。
来たるべき子等のための露払い。
もしこの地が、子等の階梯を昇るにふさわしき場所ならば、あらかじめ浄化されておらねばならない。
それこそが彼が義の教師より授けられた聖務であり、また彼の嗜好とも一致する愉しき任務であった。
少女が二人、自動販売機のかたわらに座りこんで会話を交わしている。
たわいも無い男女間の話などで盛り上がっているようだが、内容は彼には良く聞こえない。
――こんな夜更けに。
本来、家で主の夢を見ているべき少女が。
 
 嗚呼、何たること。神よ、私に機会を与えてくださり感謝いたします。

彼は呟き、祈りを胸に少女たちにゆっくり近づく。
「Hey girl,You play me?」
彼はむしろ彼女等が間違いなく罪人であって欲しいのだ。
故に彼は希望を胸に抱く。
「ああ?なにこいつぅキモくねえ?」
「ウリはやってねえよ。他当たれバカ外人」
意味は判らないが口調で判る。

 おお――主よ、希望は叶えられた。
 嗚呼、神よ、間違いありません。


例え、罪人がいかに多数であろうとも、彼には美味なる餌と同じ。
彼が罪を噛み砕くとき、罪人の命は彼の信仰を証明するための免罪符と変わる。
何故なら彼は知っているのだから。。

 彼女らは淫婦だ。バビロンの民だ。彼女らの言葉が理解できないのもその証だ。

だから、彼は速やかに行動する。音もなく、警告もなく。
「――アん?」
一人が、自分の下半身を見る。太腿にいつの間にか、どす黒い穴が開いていた。
「――あぎっ」
訳もわからぬまま少女が悲鳴を上げたとき、既にその頭にはもう一つの穴が穿(うが)たれている。

 故に彼女たちには水でも聖油でもなく血を与えよう。
 彼女たち自身の血をもって、淫婦の血を洗い流し洗礼としよう。


身体が力を失い――がくり、と少女は崩れ落ちた。
「あ?――ひ」
もう一人は未だに状況が良く理解できていないようだ。
それでも、倒れた一人と彼を交互に見ながらどんどん血の気が引いていくのが見て取れる。
「たす――」
声を上げようとしたその時。
 
 嗚呼、良くない。神は沈黙を尊ばれる。

彼は躊躇無く、文字通り全身全霊で殴った。
「あががっ!」
不幸な、としか言いようのない少女は路地の奥に派手に倒れこむ。
彼はゆっくりと近づく。
「ひ……ふひ」
水音が聞こえた。恐怖のあまり失禁したらしい。
止まらない。ちろちろと流れ出すそれは見る見るうちに地面を汚していく。
「えあ」
腰が抜けたのか。それでも動くことすら出来ず水たまりの中に留まっている。

 嗚呼、なんと愚かなのだ。なんと哀れなのだ。

彼は自分が高揚しているのを感じていた。下半身が熱を帯びている。
汚れた少女から眼を離せない自分を認識していた。この女のせいだ、と歪んだ熱狂の中、彼は決定する。

 この淫婦が私を誘惑したのだ。
 自分の中の罪を取り去らねばならない。
 この淫婦を視界から取り去らなければ、私の眼に汚れが染み付いてしまう。


彼は自らを虐する言葉に歓喜し、彼女を嗜虐する幻想に一層喚起される。
大観衆の前の演技者のように――あるいは、鼠を眼前にした猫のように。
またあるいは、鞭打たれる修行者のように。
「Today is the Day.」
彼は少女の顔をいきなり掴むと、思い切り横殴りにした。

右の頬を全身で打ったら、左の頬も全霊で撃て。嗚呼、神は公平なり。

「あげっ!」
「アナタハ ワタシノメ ヨゴシマシタ――イケマセン」
もう一回、逆から殴る。恐怖に少女の顔が歪み、だらだらと涙が流れる。
その哀れな顔を見ることで、彼の中にさらなる高揚が生じる。
歪んだ理性と激情の煮込まれた、赤と黒の熱泥。

 ソウダ。そうだ。モット。もっと――

片側だけ頬を吊り上げ、彼は染みるような笑みを浮かべた。
「オシオキ デス――Today is Your Judgement Day.」
 
 一つ、また一つ。
 石を積むように、他者の罪を積み上げよう。
 ヨシュアよ、私もまたこの地に石を置こう。
 聖別されるべきこの地と子等のために。
 この地の罪は全て積まれた石によって浄化されよう――この淫売達のように。
 そして蛇が顕れたとき、私は蛇を屠り、その時終に言葉の通じぬこの街も清浄かつ正常となるだろう。
 その時、真の信仰を持つ者は皆私に感謝するだろう。
 その時まで私に安息日は無用のもの。
 嗚呼、この麗しき美味なる果実よ――


駆けつけた警官達が、発見された遺体を二人分と見分けるにはやや時間を要した。
なぜなら、重なり合いケルンの如く積まれた屍体には、頭部が完全に欠落していたからだ。
奇妙なことに「ケルン」の上部程出血の多い箇所が選ばれており、そのために屍体の全てはどす黒い赤に彩られていた。
また、死体を分断する傷はそのことごとくが刃物ではない何かで抉られ、あるいは千切られていたという。
その後警官達は現場の周辺に殺害場所を見出したが、そこに残されたのはただ血溜りと骨片と挽肉の破片。そして幾許かの頭髪だけだった。
なお、検分の過程で六名の警官が嘔吐し、うち一名は倒れて病院に運ばれたという。



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