創作「A Change Of SeasonsⅤ」

-ChapterⅤ-

――深夜、匠の携帯が鳴った。
非通知表示。出ると昔馴染みの声がした。
「もう寝てたかしら?悪いわね」
「……夜羽か」
「あら、もっと喜んでくれるかと思ったのに」
「非通知じゃお前か尻尾の生えた悪魔か知りようが無いしな。誰かと思った」
「幼馴染を悪魔呼ばわり?相変わらず非道い男ね」
「今日の件か?」
「そうよ。そろそろあなた達も耳を傾けるべき時」
弥生は眠っている。
無論それなりに訓練は積んできてはいたが、実戦は今日が始めてだった上に葉月にしばらく付き添っていた。
帰ってきたとには既に疲労困憊していたのも当然ではあった。
「弥生はもう寝てる。俺だけでいいか」
「構わないわ」
「……どこで会う」
「私はどこでもいいんだけど?お腹もすいたし」
「近所にファミレスくらいならあるぞ」
「その小汚い事務所でもいいわよ、と言うとても有難い意味を込めてるんだけど」
口が悪いのは相変わらずだな、と匠は独りごちる。まあ、お互いさまだが。
「食材はないし料理担当は弥生じゃなくて俺だが、それでもいいなら来い」
「前言撤回。ま、確かにあんたたちの冷蔵庫じゃロクなもんないか」
「見くびるなよ?冷凍食品は充実してるぞ」
「――今度にしとくわ」
結局、国道沿いの深夜営業レストランで待ち合わせることになった。
「全く……貴方たち、普段どんな生活してるのかしらね」
席に着くなり、夜羽は匠をなじる。
「弥生ちゃんにちゃんと食べさせてる?聖別者が栄養失調なんて笑えないわよ」
「失礼な奴だな。そもそも作ってるのはあいつだから栄養管理は問題無い。まあ、味は正直微妙な時もあったが」
「今まで何食ってたのよいったい……まあいいわ。弥生ちゃんが心配?事務所のセキュリティは安心して結構よ。胡桃割りの出現前後から既に、電子斥候(スプーク)は配置済みだからね」
「……ここ最近は常に監視されてたってわけか」
「いやあね。覗き見は趣味じゃないの」
建物の外側だけよ、と言ってハンバーグにかぶりつく。
「だから食事の中身だって知らないわ。でしょ?」
「まあ、疑っちゃいないがな」
匠はガーリックチキンのソテーを切り分けながらまぜっかえす。
改めて見ると、夜羽の姿は非常に目立つ。
百八十センチに近い細身の長身に白のコート、顔にはラインがきつめのサングラス。
美女でなければ似合いそうもない服装が完璧に決まっている。
その彼女がばくばくとLサイズのハンバーグステーキを平らげていく様はちょっとしたものだったが、深夜のこともあり周りはさほど気に留めた様子も無い。
無論コートは脱いでいるしサングラスも今は外してはいたが、匠の前に座る彼女は素顔でも十二分に人目を引く存在ではあった。緩いウェーブのかかったダークブラウンの髪が美しい。
「と言っても、弥生の携帯はGPSで監視させてもらってるけどね」
おかげで戦いから五分とかからずに救急車と処理班が来た。
警察が来たときには仕込みの目撃者を残して匠たちは撤収済み、というお膳立ての良さだ。
葉月はそのままスティグマタの息がかかっている教会系の病院に直行させた。
「日本支部の力では全部無かったことにするのはさすがに無理だけど、出来る限りのフォローはするわよ。キリスト教圏に比べて権力との癒着が薄い分、こういう時は不便ね」
「組織に金が無いだけだろ」
「神の御心はもったいないの精神に要約されるのよ。信仰も理念も無い政治家に資本を投下してもこちらが得るものなど無い、と言いたいとこだけどまあ貧乏なのは確かね。いくらスティグマタでも日本支部の台所までは面倒見切れないってこと」
スティグマタと呼ばれる団体がある。表向き、その組織はヴァチカン市国内に事務局をもつ単なる私設の公益機関に過ぎない。しかし実際はとある事情により、彼等は各国教会に多大な影響力を保持している。
そして彼女はその内部でも最高位に属する十二使徒の一人、第二使徒「ヨハネ」。彼女の表情はきつい。昔から知っている匠でも久々に会った夜羽の表情は険しさを増していると写った。
フォークをざくり、と大きめの肉片に突き刺す。貧乏神にでも見立てているようだ。
「勿論イタリアの本体だって裕福ではないけど、色々援助があるからね。でもこの国の教会はどの宗派も基本的に貧乏だし、活動に援助なんて期待したらかえって申し訳なくなるようなとこばかりだわ」
確かにこの国はキリスト教由来のイベントには熱心でも信仰自体には関心が薄い。
とは言え、権力機構と彼等が全く接点が無いわけでもなかったはず、と匠は尋ねてみる。
「雨宮家の肝入りで政府が渋々作った対策部署があったと思ったが」
「C機関のこと?あれはそもそも私たちの味方じゃないし」
政府との関係を否定する夜羽の口調はむしろ苦々しい。
「あれは政府主導でスティグマタを監視するための組織だから。まあ「コンシーリオ」の雨宮静はC機関の幹部でもあるけど――」
だからといってあの締まり屋たちから金は出てこないわよ、と結ぶ。
確かに匠たちが育った孤児院も常に貧乏だった。
「孤児院といえば、灰村先生に連絡をもらったときは驚いたわ。まあ、鈍い貴方でもこんな事件が身辺で起これば見当もつくというものでしょうけど」
ちくちくと棘を混ぜてくる。悪意が無いのは知っているがやり返すことにする。
「……よく食うな。太るぞ」
「頭脳労働もお腹は空くのようるさいわね」
がし、とフォークをいつのまにか四分の一程になった肉片にまた突き刺す。皿に金属が当って不快な音を奏でた。夜羽は一瞬顔をしかめたが、そのまま口に放りこむ。
「大体、お前が頭脳労働って柄か?無駄な消費が多いんじゃないのか」
「溜め込んで太るよりましよ、だいたい胡桃割りの後始末とか大変だったんだから。……葉月さん、だったかしら?彼女とお兄さんは災難だったわね」
「……巻き込んだのは俺たちだ。弥生はまだ落ち込んでる」
「私たちじゃないわ、『奴ら』よ――残された葉月さんにとっては、どちらでも一緒でしょうけどね」
つまらなそうに最後の肉片を口に放りこんで、夜羽はフォークを置いた。
いつの間にか影のように傍に控えていたウエイトレスが二人分のコーヒーを置いていく。待ち構えていたかのように動作には無駄がなく、音一つ立てさせない。見事だ。
ただしコーヒーの味は平均以下だった。夜羽も同様の感想らしい。
中々全部が素晴らしいとはいかないものだ。
「で、胡桃割りを送り込んできた奴らの話だけど……まずこれを見て」
ばさ、と彼女はテーブルに資料を広げる。一枚目に印刷された顔写真には見覚えがあった。
「かつては「ミシシッピの屠殺者」だの「デルタの登山家(アルピニスト)」だので知られたシリアルキラーよ。判っているだけで被害者三十人以上。自白の無い分を含めれば百人に届くかもね」
「登山家」はあの殺害現場をケルンになぞらえてのものらしい。公式的には刑務所で司法取引に応じ懲役二百五十年を消化中のはずだったというが、敵はどうやら人材確保にだいぶ融通が利くらしかった。
「奴とスティグマタの関わりは?」
「恐らく刑務所で『ヨシュア』にでもスカウトされたんだと思うわ。「愚者」のインプリントを受けたのもその時でしょうね。ただ――血液弾の能力は元から持っていたのか、誰かに新たに付与されたのかは不明」
「――付与が可能な奴は敵の中にいるか?」
「ええ。十二使徒の中にも『義の教師(マギステル)』は居るからね」
「――では」
「……ええ。恐らく彼はアメリカン・ジーザス(AJ)の構成員よ。AJを担当する使徒は三名――聖バルトロマイ、聖アンデレ、ユダ――そして、聖バルトロマイはスティグマタ屈指の『義の教師』よ」
夜羽は結局ミルクとシロップを大量投入することにしたらしい。豪快にぶちまけるとちゃっちゃとかき混ぜてまたぐびりとあおる。正直、先ほどから色気が無いことおびただしい。
そんな夜羽を見ているうちに、匠は気になっていた事を思い出した。
「遺体が焼却されたタネはつかめたのか」
「モニター発信機と連動した発火装置だったわ。印形かと思ってたけど、教会魔術(アルス・マギカ)より科学のほうが彼らには馴染み深いようね――弥生のデータは大分奴らの手に渡ったと見るべきだわ。挑発を兼ねた偵察としては、悔しいけど上出来だったということよ」
ナプキンで口を拭ったあと、改めて切り出す。
「ま、そんなわけで次からが本題。WTP級強襲揚陸艦『カンサス』が胡桃割りの活動開始後、横須賀に入港してるわ。マスコミ情報は統制済だからニュースにもならないけどね」
「……それが向こうの拠点か?」
では、やはり胡桃割りは先行して入国していたということか。
「カンサスのAJにおける秘匿名は『語り手の封土(グロッサラリア)』……異言成す者の約束の地、よ。太平洋全域における彼等の司令部として中身も相応に改装されてるわ。それが日本に来た以上、目的は一つ」
「――ステアウェイが、この国で開かれるのか」
「そういうこと――『プロスペロ』には一足先に漏れてたようだけど、私たちにも先日正式に通達があったわ。他の参加者も既に動き出しているでしょうね」
「事前の情報では今年の冬、聖誕祭辺りからという話だったと思うが」
「半年以上早まってるわね――理由は私たちにも知らされていない。いくつか想像はできるけど、今はまだ言える段階じゃないわ」
コンシーリオの決定である以上、多分内部に強く早期開催を推した者がいる。それは恐らく、開催が早ければ早いほど得をする連中。すなわち現時点で既に強力な聖別者を抱えている陣営――そう夜羽は言った。
それは何処だ?との問いに夜羽は肩をすくめる。
「日本以外の三カ国九名、どれも当てはまるわね。だからこそ最初に貴方たちが狙われたと言ってもいい」
「日本の三人は一番弱い欠片、ってことか」
「そういう事。早晩他の二人にも、向こうから仕掛けてくるでしょうね」
だけどね、と夜羽が続ける言葉の中身は匠には想像がついた。弥生のことだ。
「あの子の現状では聖別者同士の戦闘におそらく耐えられない。真理王との訓練プログラムも消化できていないし、何より第二階梯の『枷徒』如きに苦戦しているようでは――その先に進む資格は無いわ」
「――そうか」
かちゃり、と音を立ててコーヒーカップが置かれた。
夜羽はサングラスを再び掛ける。彼との情に一線を画すための、儀式のように。
「随分呑気な返事ね。貴方は、理解しているの?本当に?」
「――ああ」
「いいえ、貴方は今も解ってないのよ」
匠の言葉を彼女は容易く粉砕した。声が荒らげられる。
「ステアウェイは最長で二年間に及ぶ。勝ち残る者の出来如何ではスティグマタの未来すら左右される、機関の最重要案件よ。そしてもし、真に『新たなる洗礼』を受ける者――油注がれしメシアが顕現したとなれば、それは既存の教会勢力全ての信仰を揺るがす重大事となる。それ故にこそ、聖別者は各国それぞれの信仰者の祝福や呪いを背負って戦わざるを得ない」
キリスト教圏における彼らへの期待――あるいは呪詛は半端なものではない。それは背負ってきた歴史の違いでもある。そんな彼らと戦う以上、中途半端な気持ちでは生き残ることすらできない。そう彼女は言う。
「過程で彼女が負傷したとしても大した問題ではないわ。体のパーツなど、いくらでも換えはきく。脚だろうと処女膜だろうと、ね」
あえて匠を挑発する言葉を選びながら夜羽は続ける。
「でもね――心を癒すには限界がある。簡単に折れる心では困るのよ。過去の脱落者のように彼女をしたくはないでしょう。私は彼女に頑張って欲しいと願うけど――それは勝ち残るためと言うより、まず生き残って欲しいからよ」
「……解っている」
「なら、彼女をもっと焚き付けなさい。胡桃割りとの戦闘を見る限り、まだ敵を打ち倒すこと自体に抵抗を感じている――速やかに、迷いを捨てさせなさい。その教育も出来ずして、何の介添人かしら?」
戦闘時の躊躇は自らの死に直結するのだと。戦わぬ限り、彼らが供にいる術は無いのだと。
我々の戦いにおいて敵は人にあらず、木偶に等しいのだと認識させよ。貴方がそう教育せよ――そう夜羽は言う。
「それすらやり通せないと言うのなら、私が直接言うわ。それで貴方はいいのかしら」
「――夜羽」
匠はそれを遮る。その先は夜羽自身のためにも、言わせるべきではなかった。
「もし、お前が弥生にお前の能力を使うつもりなら、お前があいつに近づくのは許さん――それは、俺の役目だ」
サングラスに隠れて彼女の表情は伺えない。ただ、許さない、と言う言葉にはぴくり、と反応した。
今の貴方の力で何を、とでも思ったのだろうが、口に出すのは止めたようだ。さすがに大人気ないと思ったらしい。
「ならば、介添人らしく振舞うことね――後見の使徒を煩わせないように。あと、見損なわないで。仲間にそうそう強制力は使わないわよ」
使徒・夜羽の能力「言霊(ロゴス)」。
それは上手く用いれば十二使徒中最強ともいわれる、言霊によって相対する者のあらゆる行動を支配する強制力。
故に――彼女がその気なら、無理やり匠や弥生を意に沿わせることは簡単だ。
この幼馴染がそういう人間ではないことは匠も知っている――しかし、立場上強いられることも有り得るだろう。
夜羽自身、それは否定しなかった。
「私が使わざるを得ないような状況にならぬ様、努力して欲しいものね」
「――解った。だが一つだけ、お前には確認しておきたいことがある」
「――何よ」
「お前は――俺に介添人がやり通せると、本当に思っているか?」
今更何を、という顔だったと思う。
「――はあ?何を寝ぼけたこと言ってるのよ?志願したのは貴方でしょう!」
罵声に近い言葉が飛ぶ。
「貴方のスティグマはまだ消えてはいないはずよ。よしんば聖別者や介添人と直接戦えなくとも、弥生のために出来ることはいくらでもあるはずだけど?」
「志願したのは無論、弥生のためだ。だが、今の俺にどれほどの力が残ってるか、お前は知ってるだろう。介添人の数を増員することは可能なはずだ。俺だけで、敵の全員に対応できるとは正直思えん」
「――生憎、増員は弥生自身がすでに拒否してるわ。貴方以外は必要ないそうよ」
信頼されてるじゃない?と夜羽は吐き捨てる。
「私にはそれだけで充分と思えるわよ――貴方がそれに値するかどうかは、私には答えようがないけど」
大体ね、と彼女は言葉を止めない。
「かつて貴方は記憶を喪い、能力をも失った。それがもう戻らないと諦めているのなら――なぜあの時引き受けたの?孤児院で彼女に会った時から、この時が来ることは判っていたはずよ」
夜羽の眼に雷火が閃く。それは怒りか、苛立ちか?
「彼女に――『あの人』に似ていたから?当然よね。あの人と弥生は同じなんだから」
彼女の弾劾は怒りよりむしろ悲哀をもって放たれる。或いは嫉妬か――いや、そんな筈は無いと思いながらも、匠はその言葉を否定する。
「……違う。弥生は――彼女とは、違う」
ふう、と夜羽は深く溜息をつく。その表情に憐憫と諦観が混合しているように見えたのは、恐らく匠の心に後ろめたさがあったからなのだろう。
「分かっているなら、現実を見なさい。今の貴方に力が足りないというのなら――ならばこそ、泥を啜ってでも己の役目を果たすことね」
その言葉には確かに強制力はかかっていない。匠にもそれは判る。
「……でなければ、今手にしているものも全て失うことになるのよ」
だからこそ何よりも匠の心を穿つ。真摯にそう言っているのが、判ってしまうから。
「……ああ」
「そう、じゃあこの話は終わりね。いい?」
そろそろ出ましょ――と立ち上がり、すたすたとレジに歩いていく。
その背後から、匠は声を掛けた。己の無力を噛み締めながら。
「夜羽」
「何よ?」
「お前が頑張ってと言っていたと……そう弥生には伝えておくよ」
振り返って、一瞬きょとん、とした後、夜羽はゆっくり微笑んだ。
「ありがと……ところで、会計は割り勘でいいのよね?」
その表情がさっきとまるで違って心細そうなので、思わずこちらも笑ってしまいそうになる。
さっきまでの暗い気分が少しだけ晴れた――ような気がした。
「……お前、ひょっとして貧乏なのか?」
「かっ確認しただけよ!なによ大体幼馴染に久しぶりに会ったんだから奢ってくれたっていいじゃない!さっきから教会には金がないってあれほどメッセージを送ってるのに触れもしないとはどういう了見よ男としてどうなの」
言い訳が進むたびにどんどん破綻していくのが面白いがまあもういいか。
「……判った。此処は奢らせてもらう」
「こっちが聞く前に言って欲しかったわ……」
夜羽は外に出てからもしばらくバツの悪そうな顔だったが、結局あー、と一言口にした後、サングラスを取って匠と向き合った。
「……ごちそうさま。またね、匠――頑張って」
その眼は、匠の知る少女の頃と変わっていなかった。
「――ああ」
匠も頷く。
――軽く手を振って、二人は別れた。
どこまで頑張れるものか、確信など今の匠には無い。
だが、夜羽の信頼を裏切る真似もまた――彼に出来る筈はなかった。


「――そのように、私の口から出る私の言葉も、虚しくは私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」
帰りの車を運転しながら、夜羽は呟いた。
「彼らがそうあることを、私は期待しているのかしら――本当に?」
旧約聖書、イザヤ書の一節。救世主への待望を幻想と預言の形で伝えるその言葉は彼――いや、彼と彼女には重過ぎるだろうか。
柊匠。擦り切れて、壊れる寸前のピノキオ。ただの人間にもただの機械にもなれない男。
だが、彼の心はまだ壊れていないと、夜羽は信じたい。そして、心さえ無事ならば、まだ少なくとも人間にはなれる筈だ。
灰村弥生。灰かぶりのお姫様。成りたての聖別者、三月のプロセルピナ。
弱っちいくせに意地っ張りな少女。真面目すぎるが故に大人の振りの上手な子供。
匠にはああ言ったが、恐らく弥生は敵を木偶ではなくあくまで人として見続けるだろう。弱さからでなく、むしろ強さの故に。夜羽はそれが判るからこそ、弥生に危うさを感じる。
何故なら、かつて同じ眼を持って敵を見続けた人物を知っているから。
その人が如何なる道を辿ったか、知っているから。
「……せめてもう何人か、使える贖罪者が居れば」
日本支部の人材不足は深刻だった。三人の使徒に三人の聖別者、そして三人の介添人たる贖罪者。
それで既にギリギリだ。高位の能力者が元々少ないことに加え、日本支部の総意として枷徒の運用を一切禁じていることもあり、実戦要員は常に不足している状況である。
仮に、匠の能力が自己評価の通り擦り切れていたとしても、それでもなお彼に期待せざるを得ないのだ。それが例え、燠火に油を投じて最期の炎を燃やし尽くさせるような行為だとしても。
だが、と夜羽は思う。あの二人を、簡単に負けさせはしない――ましてや、死なせはしない。
彼等を選んだ使徒・夜羽の名と、彼女が持つ全ての力にかけて。
「今からでも、ネヘミヤやゼカリヤから誰か引っ張ってこれないかしらね……まあ、史紋や真理王でも無理だったのだから、私に何か出来るとも思えないけど」
夜羽以外の使徒二名は実働部隊の連中とは浅からぬつながりがあるが、任務遂行中の隊員を一方的に引き抜くのは無理だ。本人が自主的に休職するならともかく、例え使徒でも強制できることではない。
「AJやレーヴェンスボルンはその辺得意そうよねえ……」
日本以外の参加国は、軍組織がそのままスティグマタの協力者でもある。故に「軍人にして能力者」という連中やそこから実働部隊に引き抜かれた者も多いため、当然様々な縦横のつながりがある。適切な人材は用意しやすかろう。
いつの間にか、窓の外を流れる風景は繁華街の賑わいに変わっていた。ざわめく人波と明滅するネオンをぼうっと見ながら、夜羽は呟く。
「……強制力使ったら、使徒長に怒られるだろうなー」
使いたいなー、と夜羽はちょっとだけ思い――それから溜息をつく。
わずかにスピードを上げ、夜羽の車はその光を後方に置き去りにして走り去った。

スティグマタの実働部隊に配属される能力者たちは贖罪者――イザヤ、と呼ばれている。
その証である痕――スティグマは最初から存在するものではなく、能力を見出された者たちが訓練を通じて力を発
現する際に「神の力」であることを認識させる――あるいは錯覚させるために烙印として刻まれるものである。
見方によっては、「ただそこに最初から在る能力」をスティグマタが奉ずる世界観の軛の下に置くための、一種の洗脳処置であるとも言えよう。
それは飛びぬけた性能を持つコンピュータに「特定のルールに従って動作する」OSをインストールする作業にも似ている。そのOSはコンピュータに様々な素晴らしいプログラムを実行させる――しかし、実のところ、それは他のOSでも動くものかもしれない。例え同じプログラムが動かなくても、そのOS用にプログラムを組みなおしてやれば、やはり同様に動くかもしれない。この場合「他のOS」は科学でも良いし、他の宗教に拠る世界観でもかまわない。
能力者とスティグマタ――そして彼らが奉じ、同時に利用するキリスト教的世界観との関係は、つまるところそのようなものであった。
しかし、なれど贖罪者達は言う。救世主の聖痕となるかカインの印となるかは我々自身の心次第である、と。
信仰と分かちがたく結びついている贖罪者の力。しかし彼らの信仰が欺瞞にすぎないかどうかは、とりもなおさずその本人次第でもあるのだ――と。
そして彼らの上司でもある十二使徒こそ、必然的にその言葉の意味を最も良く知る者たちでもあった。  
弥生の格闘教官を努める有唯真理王もまた、その一人である。
――あるのだが。
外国人もよく出没する市の繁華街のはずれ。
とあるスポーツジムの奥が彼の訓練場であり弥生の「道場」である。
白いトレーニングウェアを着た筋肉質の大男が、そこで待っている。
よく笑う口元。やや細い眼の端には常に笑い皺がある。頭には一遍の頭髪もなく、その肌同様つるりとした白さが眩しい。暑苦しさよりむしろ爽やかな印象すら与える。
外見上の違和はそれにとどまらない。彼の額には何故か六つの梵印が穿たれていた。
正直、見た目はキリスト教徒というよりどう見ても破戒坊主の趣である。
彼がミサをしても正直欺瞞というか冗談にしか見えないだろう。
しかし彼はこれでも終生請願を立てた本物の神父であり、同時に一説によれば使徒最強の人物でもあるのだ。
「おーやおや?昨日の今日でよく来たわねぇ。ま、怪我がなくて何よりだったにゃー?」
とは言え、彼の口調はその爽やかですらある顔には全くそぐわないものだった。
ハスキーながらあくまで柔らかいその口調は、おかまっぽいとかオネエ言葉とかいうより単純におかしい。
彼を知らぬ者は大抵外見とのギャップに思わず失笑するのだが、弥生は無言で真理王に一礼する。
その顔色は常よりわずかに白い。
「とは言えあなた、まだ疲れてるんじゃないのかにゃ?休んでても良かったのよん?」
彼ははやんわりと労るが、弥生は淀みなく答えた。
「やります――やらせて下さい」
真理王の表情に意外さはない。さもあらん、といった風に両手を広げるジェスチャーをする。
一々芝居がかっているがこれでも本人はいたって真面目だ。
弥生は道場の端を見やり、指差す。
「先生。お願いがあるのですが」
「何ですにゃ?」
「そちらの奥から、先日見せてもらった銃を私に向けて撃ってください……実弾で」
わずかに真理王の口元が引き締まる。
「ふぅん……MP5のこと?あなた、本気なのかにゃー?鏡子でも、マシンガンに対応するのは結構かかったのよん?」
鏡子というのは、真理王が後見する聖別者の介添人を務める少女の名だ。年は弥生の一つ上だが、すでにしてネヘミヤの一員に数えられる高位能力者だった。
弥生とは能力の質がそもそも異なるとはいえ、その彼女でも実弾への対応にはそれなりの時日を要している。
「……やらなければ、駄目なのです」
弥生は、ずっと葉月とその兄の事を考えていた。
「わたしが、巻き込んでしまったのです」
今は会わせる顔もない。
けれど、それでもまだ、自分に出来ることがあるとすれば。
――それは、一秒でも早く、強くなること。
身の回りの全ての人を、守れるように。
弥生の眼をじっと見ていた真理王は、その目をさらに細くして微笑み――頷いた。
「いいわよん――使徒タダイの名において、聖遺物の起動を許可します」
師の言葉に頭を下げると、弥生は眼を閉じて呟く。
ゆっくりと――しかし、迷わずに。
「真認せん(AMEN)――」

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