創作「A Change Of SeasonsⅦ」

-ChapterⅦ-

「カンサス」の甲板上。
夜風に吹かれて、リアは沿岸に広がる夜景を眺めている。
艦内では日本在住のAJ関係者がレインを主賓に何やら宴を開いていたが、彼等にリアは一切興味を持てなかった。
「弱者の信仰を踏み台にして肥え太る白い豚供の宴――とでもペテロなら言うかな」
AJの支配層の多くが口では弱者救済を唱えながらその実、真逆の行為を嬉々として実践する連中であることをリアはよく知っている。
資本の公平な分配や差別からの開放、などという耳に心地よい言葉を操る術には長けているが、それを実行しようという意欲は露ほども持ち合わせていない。彼等が信仰を口にするとき、それはしばしば「貧しさに留まるからこそ神が救ってくれる、だからお前たちはそのままでいろ」という、神の名を利用した弱者への貧困の強制となる。その欺瞞が、どれほど多くの民の魂と肉体、双方の貧困を放置してきたろうか。
「私は地上に火を投じるためにきた。火が燃え上がってくれればと、どれほど願ったことか――」
二千年の昔から常に彼の言葉は曲解され、権力を裁くためではなく守るためにこそ利用されてきたのだという諦観。使徒としてAJに関わるようになってから、彼は一年の三百日はこの結論とともに溜息を吐き出してきたといってよい。
警備の名目でヘリ発着甲板に逃れてもう一時間ほどになる。
レインには程ほどに付き合って寝てしまえ、と予め伝えてあった。レインや他の聖別者たち、あるいは途中で脱落していった候補の少年少女たち。彼等の存在が無ければ、リアはAJという組織全体に粛清部隊の出動を要請していたかもしれない。実現するはずの無い要請ではあったけれど。
ふっ、と、背後に沸いた気配にも、彼は振り返らない。
「信仰者の家に、何の御用かな?――伝令使」
「お久し振りですね、リア師。仕事を頂きに参った次第で」
振り向くと、昔見知った顔があった。若者とも老人ともつかぬ灰色の男。
「仕事ね……では、簡単な仕事を君にあげよう」
「ほう?如何なるもので」
「ここで死んでくれれば君の仕事は完了だよ、ヘルメス――『凍剣(プロケル)』」
言葉と同時に、闖入者を銀色に閃く刃が襲う。二つ、四つと次々に増殖しながら宙を舞うそれを、しかし男は無造作に交わした――否、当てられる瞬間、その場から消えた。
「ひゅう……あの、話は聞いていただけないので?」
一瞬の後、甲板の反対側に何事もなかったかのように男は立っている。
「おや?どうも乗り気でないようだね。報酬が不足かな?はて、現金は手持ちが無いし――小切手でいいかね?それとも合衆国の国債など如何かな――真実性は保証するよ」
しかし、全く動ぜずリアが連続で刃を作り出すのを見て、さすがに焦ったらしい。
「あー……とりあえず、生命の保証を?」
「聞けないね。まあ振込みでもいいなら、口座番号を教えてくれないか――『淡溺(フォルネウス)』」
今度はなにやら水で出来ていると思しき立方体を構成しだしたリア。
「ちょちょちょっとストップ、ストップすとーっぷ!問答無用ですか!」
さらに慌てる灰色の男。会話だけ聞いているとコントのようだ。
「何を今更。『背教騎士団(ジュデッカ)』の代理人がAJの司令部にのこのことやってきて、無傷で帰れるとでも?こちらの勤労精神をいささか軽視しすぎではないかね――」
と言いつつも、リアは構成を途中で止める。ただの水に戻ったそれは甲板にぴしゃ、と流れ崩れた。
息をつく男は、それでも軽い口調は変えない。
「……ならば、AJの当事者たちが一人も出てこないのは何故ですかね?」
「今は私がここに居るからね」
「ほう?まさか、貴方が僕の人質になったとでも勘違いを?」
「いやいや。大方、恐れているのではないかねえ……巻き添えを」
右手指を何かを手繰るように、あるいは指揮者がタクトを振るように動き。
「――『瀑龍(ヴェパール)』」
「ちょ――またですかあっ!」
カンサスの両舷から天に向かい伸び上がる二つの細長い柱。それは海水により形作られた龍の似姿。
次の瞬間、それは傾き――巨大な二本の鞭となって、甲板を叩いた。
何十トンになるか想像もつかぬ水圧に、カンサス自体が盛大に揺れ動く。
「まあ、やりすぎるとこの艦も沈んでしまうのでね。手加減はしてある……が」
何処かに居るであろう相手にリアは語りかける。
「……これもまた『血流の支配者(クロセル)』の実力の一端、というわけですか。使徒にして最も博識なる義の教師が一人――聖バルトロマイならではの多彩な技、という所ですな」
「怪我は無しか。手加減は無用だったようだね。今度からは気遣いは止めよう」
「いえいえ!艦の職員諸兄には有難い気遣いでしょうとも!」
「……すべての血と水は私の手の内にある。この艦を司令部にしたのにはそれなりの思惑がある、ということにそろそろ気づいてくれると有り難いね。何しろ、甲板を水浸しにすると後で艦長にとても怒られるんだよ」
水界と血流の支配者、バーソロミュー・リア。
使徒バルトロマイの名を預かるその実力は伊達ではない。しかし彼の攻撃を悉くかわす相手の男も、やはり只者ではなかった。
「――とは言えヘルメス。君の『径(パス)』を開く力も、相変わらずのようだね」
「何しろ、逃げ足だけが取り柄でして」
彼は一切反撃せず、全てを転移して交わした。最後の攻撃は、逃れそうな場所を予測して連続攻撃を加えたにもかかわらず、それすらも触れずに逃れた。
いかな強大な力であれ、相手に当てられねば意味がない。
「君の悪戯好きは相変わらずだな。わたしが諡号を失ったあの時と全く変わらん」
「さて?僕にとって時間とは有って無いようなものですし」
「……聞こうか。何がしたいのかね?」
「ふふ、ご指摘通り悪戯ですかね――ってちょっとまたですか!水止めて下さいよ!」
艦の脇からいつのまにか再び立ち上っていた水柱がすっ、と音も無く海面に下がり再び同化する。
いかなる技なのか。周辺にはさざ波一つ立っていない。
「は――貴方も冗談がお好きだ」
「わたしは常に真摯な態度を心がけているがね――むしろ冗談なのは君の態度だろう」
もしくは存在そのものが、と言うべきか。
「まあ、そうかもしれません。僕に与えられた役は道化ですから」
「……今回は何をして、状況をかき回すつもりだね」
「そうですね。貴方たちの設定した戦場に、向こうの聖別者を一人で連れてきましょう。失敗したら御代は頂きません」
「匠と弥生を引き離すというのかね?どうやって?」
「まあそれはお楽しみということで。失敗しても予定通り二人を相手にするだけ。成功すればレイン君はだいぶ楽に戦える。どうです?」
「レインは二対一でも負けない、と私が言ったらどうする?」
「しょぼくれて帰ってクソして寝ますな。まあその時は、匠君に少々レイン君の対策でも話してあげることにしますかね」
「君がレインの実力をそれほど知っているとも思えないがね」
「試されますか?」
「……報酬は何を望む?君が失敗したら?」
「今のところは、何も。いずれ時が来たら、請求に伺うかもしれません。失敗したら――そうですね、貴方の個人的な依頼を一件、無償で請負いましょう」
「……タダより高いものはない、という使い古された言葉を思い出しているところだが」
「温故知新は大切ですね」
「何故こんな危険を冒す?最悪の魔にして異端たる君の名は浄化リストの一ページ目に載っている。わたしが君を問答無用で攻撃するとは思わなかったのかね?」
「その状況は先ほどすでに体験済みですが……実際のところ、本気でそれが出来る貴方でないことは僕がよく知っていますよ」
「――それは侮辱かね、それとも賞賛のつもりかね?」
「貴方のお好きなように。まあ、ご理解頂ければこれから向こうの仕込みに入ります。匠君もまた興味深い存在です――まるで昔の貴方のように」
「私のように、かね?それは彼にとっては不幸だな」
「僕はそう思っておりませんよ。これはしがない伝令の本心です」
「……世辞でも嬉しい言葉だね。次は予告してから来たまえ。私の同僚が抱える連中は、私ほど君たちに優しくは――」
その時、ばん、と艦橋からの出口がいきなり開かれた。
「リア師!ご無事ですか」
「――おやおや」
現れたのは神父の平服――スータンを着た一人の男。手には刃の大きく湾曲した刀を握っている。
「……これは巻き添えを望む方ですかな?」
「ああ……彼が乗っているのを忘れていたよ」
「そこ動くな異端の徒!」
その宣言に続き唱えられるは彼等贖罪者が聖典「士針(ギデオン)」の一節。
「我ら罪と供に生き罪と供に滅ぶ――我が罪を剣と成し汝を断罪せん!」
言葉と同時にひゅん、と何かが飛んだ。
「誰で――ひょーっ!」
再び素っ頓狂な声を上げてヘルメスは飛来物を転移して交わす。
「えーと、ブーメランですか?なかなか不自然な動きをしましたが」
「さて?彼の飛刀――『智天使の刃(ラハト・ケレブ)』は意のままに敵の肉を切断すると聞いているが」
新たな闖入者である神父は平和に言葉を交わす二人に戸惑ったらしい。
「あー……師よ?何を悠長に会話しておられる!即刻リア師から離れよ異端!」
「……私を問答無用で殺そうとしておられる貴方の名前を伺う権利ぐらいは与えてもらえるんでしょうね」
神父はふっ、と鼻で笑う。その顔は意外と若かった。
「良かろう、某の名を知って逝け異端――浄化部隊ネヘミヤ・第三庭第四分枝隊が贖罪者、グラウディン・ダナートが汝を聖絶する!」
やや芝居がかったその口調に辟易したか、伝令使は深く溜息をついた。げんなり、といった表情。
「至って真面目な方のようで……っと!」
「それが彼の美点だよ。念のため言っておくと唯一の、と言うわけではない」
「そこまで言ってませんが……ひゅう」
じゅっ。頭髪が焦げる臭いがした。ああ、と哀れっぽく伝令使が呻く。
「なんてこった、ただでさえ薄いのに……ただの刃でもないようで?」
「――贖罪名『罪禍の刃』。ただ敵の脳髄に鋼鉄を叩き込むこと、それが彼の存在意義さ。ネヘミヤでも屈強の一人である彼とまともに戦えば、君でも苦戦は免れないと思うがね」
「成程――貴方ほど優しくはないようですね、ナタナエル?それでは今日はこのへんで去るとしますか……おさらば」
言葉を言い終えるか終えないかの一瞬――拭い去るように、その姿は薄闇に消えた。
「待て異端の徒!――消えた?」
リアは薄く笑うと、グラウディンと名乗った若者を制する。
「もう、彼はここから去った。しかし、最後に旧い仇名で呼ぶかね……やはり嫌味な男だ」
グラウディンはリアのもとに駆け寄ってくると疑問をぶつけた。
「……師よ、奴は何者です?あれほどの速度と精度をもって『瞬動(セーレ)』を用いる人物を初めて見ました」
「背教騎士団(ジュデッカ)の伝令使――ヘルメス、と呼ばれる男だ」
「奴が……成程、噂通り恐るべき能力者でありますな」
「おっと――彼を能力者と呼ぶのは馴染まないね。彼は我々のように自らを訓練して得た力を用いるわけではないし、印形や呪式を残響を操作するキー・フレーズとしてのみ利用しているわけでもない」
グラウディンは誤解しているようだが、あの男が使った転移の技は印形「瞬動(セーレ)」などではない。
ヘルメスはAE――残響そのものを粘土のように自在に捏ねて、望むかたちを造り出す。
何故なら彼は――彼自身の言葉を信じるなら、スティグマタより遥か過去から存在している筈なのだから。
「左様ですか……ならば何と呼べば?」
「……そうだな。彼は私が知る中で唯一の、本物の魔術師だよ」
三重に偉大なる魔術師(トリスメギストス)――ヘルメス・トート。
たとえ真にその人で無かったとしてもなお、教会魔術(アルス・マギカ)による印形など、彼の眼には玩具同然だろう、とリアは思う。
「――魔術師。人の身にしてそのような存在が、本当に今の世に居ると?」
グラウディンは理解し難い、というように頭を振った。
「何、人とは限るまいよ。血族(コグニート)に屍族(ルヴナント)……今なお数多の魔が世間を跳梁している事だしね」
そして、リアは若き贖罪者には聞こえぬ心の内で一人ごちる。
――古くより、伝説は幾千幾万と伝えられている。
しかし真実の欠片を持つ者は少ない。欠片を真実と知って保持する者はさらに少ない。
何しろ、使徒たる私ですら、自分の持つ欠片の意味を全ては知らないのだから――

――スティグマタの組織図は比較的シンプルだ。
少なくとも、その複雑怪奇極まるスポンサー達に比べれば。
ヴァチカン郊外に本拠地を持つ彼らは、使徒長と彼を補佐する十二名の使徒、そして彼らによって指揮される三つの統括執行部とその下に配された十二の部局によって構成されている。
まず使徒長パウロと十二使徒の十三名によって構成される最高幹部会――「使徒会議」。
そしてその下の統括部門、及び各部局にはそれぞれ預言者、あるいは旧約の著名者の名が刻まれていた。
昇天者エリヤの名を冠する聖化執行部――聖別者を選び出す、ステアウェイのために存在する部署。
告発者エゼキエルの名を持つ教化執行部――スティグマタを維持するためのあらゆる事務を管理し、外部と折衝する部署。
そして最後に、贖罪者イザヤの名に象徴される浄化執行部――魔と異端者と背教者、全ての敵対者を地上から消し去るための部署である。
「エリヤ」の抱える内局は以下の四つ。
聖化局「エリシャ」――聖別者と聖遺物を認定し仮胎させる、あるいは聖別するために存在する部署――詳細はスティグマタ構成員にすら不明である。別名「長老部」。
監査局「サムエル」――彼らの机下にはエリヤ唯一の実戦部隊といえる「裁司(ジャッジメント)」が配置される。彼らはAJや「レーヴェンスボルン」「グラストンベリー聖杯騎士団」「13(ドゥーズ)」「絶滅教会」といったスティグマタのスポンサー集団や各国教会から供出された出向人員であり、ステアウェイの進行を監視する役目を負う。「裁司」は能力者のみで構成されるが、贖罪者とは一線を画す。
解析局「エズラ」――本部に設置された「リヴァイアサン」サーバーを用い、エレミヤ他各部署からの情報を集積・分析する部署。彼らの集めた情報は性質によっては「七鍵図書館」やプロスペロに改めて提供され、各国機関にも共用される。
秘蹟管理局「アロン」――ヴァチカン最深部に存在する「七鍵図書館」へのアクセス権を持ち、聖遺物や古文書の貸し出し等が主任務。AE(アストラルエコー)――所謂「残響」を印形として焼き付けることによって作られる聖符の製作なども担当している。「義の教師(マギステル)」はこちらに出入りする機会が当然ながら多い。
「エゼキエル」には次の四つ。
広報局「エステル」――広報及び外交折衝担当部署。ステアウェイ開催委員会(コンシーリオ)との窓口でもある。
諜報局「エレミヤ」――情報蒐集担当部署。「プロスペロ」に匹敵する諜報能力をもつ。能力者の在籍率は比較的高い。
教育局「ヨブ」――ヴァチカン郊外にある「学園」を主催。聖別者候補の篩い分けと基礎教育を行なう。
医療局「ホセア」――傷病者の治療のみならず、能力開発をも担当する。各地にラボを持つ。
――そして「イザヤ」には。
殲滅部隊「ダニエル」――今なお異端との前線に立つ教化実戦部隊。別名を武装宣教師隊(サンクト・シンリキプティス)とも。能力者の割合は他の贖罪者に比べれば少ない。しばしば各国教会組織の傭兵として使われる。別名「押売り屋」。
浄化部隊「ネヘミヤ」――血族に代表される「屍族」――すなわち「魔」の浄化を担当する。全員が能力者で構成。敵が敵なだけにエリートが集められた部署と言ってよいが、一方で隊員の損耗率は極めて高い。別名「掃除屋」。
粛清部隊「ゼカリヤ」――背教者、及びスティグマタ内部の裏切り者の処分を担当する。別名「葬送者」――またはもっと直接的に「葬儀屋」とも。敵も能力者であることが多いため、隊員は全て能力者。匠はかつてここに所属していた。
聖絶部隊「ヨシュア」――詳細はスティグマタ内部ですら知られていない。ただ、「ダニエル」や「ゼカリヤ」すら鼻白む仕事を密かにこなす――そう常に囁かれていた。枷徒を大量に運用しているとの噂がある。別名「肉屋」。
以上四つの実働部隊が存在していた。
組織構成はかつて匠がゼカリヤに所属していた頃から変わっていない筈なので、恐らく今も彼らはそのままにスティグマタの敵と戦っていることだろう――匠はステアウェイの参加者情報に眼を通しながら、そんな事を考える。
さて、今回のステアウェイも、基本的には過去に行なわれてきたそれと流れは変わらない。
まず、一月から十二月までの十二ヶ月をそれぞれ象徴とする十二名を聖別者候補の中から選び出すことから、ステアウェイは始まる。聖別者候補は基本的に十六歳前後の少年少女であり、彼らがステアウェイに臨むにあたっては介添人を付けることが基本条件だった。
介添人は保護者であると同時に監視者だ。聖別者たちが途中で降りないように支え、励まし――あるいは脅す。
今回の参加は四カ国。本来なら聖別者を供出するに足る国はもっと多いのだが、今回は何カ国かが予備選で消えたという。大勢力の一つである「絶滅教会」の本拠があるロシア、「グラストンベリー聖杯騎士団」を擁するブリテンなども途中で破れ去ったらしいが、そもそも予備選とやらをどこでやったのか匠は知らない。
弥生は予備選には参加していなかった――彼女が参加することは、ずっと前から決まっていたから。
――以下は今ステアウェイ参加者の不完全なリストである。
一月。「茨の王」幸村睦月。介添人――神無月響子。
二月。如月誠。介添人――六条流架。
三月。灰村弥生。介添人――柊匠。
四月。「紅猫」アプリィル・セイバーへーゲン。介添人――不明。
五月。マイ・カールレオン・キスリング。介添人――不明。
六月。「ユニ」本名、介添人――共に不明。
七月。メルキオーレ・メリザンド。介添人――不明。
八月。オーガスティン・ヴィド。介添人――不明。
九月。「コンコルディア」クリスティン・クロサンドラ。介添人――プレダトール。
十月。「OOO(トリプルオー)」オービット・オブ・オクトーバー。介添人――不明。
十一月。「ノヴェンバー・レイン」本名、介添人――共に不明。
十二月。「ディセンバー・フラワー」本名、介添人――共に不明。
名を一瞥して判るように、聖別者の名は全て本名ではない。
それは半ば記号にすぎず、候補となった時点で初めて「彼らの名」と認められる――その程度のものでしかない。
また、使徒が十二人、聖別者も十二人――それにも当然理由がある。
十二使徒は全て一人の聖別者を選び、彼らを間接的にバックアップすることが定められている。直接戦いに参加する介添人に対し、使徒はいわば後見人といったところだ。無論、もし仮に聖別者が暴走した場合、彼らを抑えられるのは使徒級の能力者しかいない、と言うのも当然理由の一つではあるが。
実際、過去にはそうした例もあった――暴走した聖別者がステアウェイを逸脱した結果、周囲に多大な被害をもたらすことはけして稀ではない。
さて、そのステアウェイだが――主たる規定条項は七つ存在する。
  
その一。
 ステアウェイは、開催時点における十二使徒が予め選抜した聖別者によって行われる。
 聖別者の数は使徒一名につき一名とし、それぞれに十二ヶ月の名を与える。
 仮に、聖別者が選別過程において死亡した場合でも、相手の聖別者は免責される。

その二。
 各使徒は、聖別者の介添人として一名から最大で小隊規模の人員を任命できる。
 介添人の能力、信仰、出自は一切問わない。彼等には相応の報酬が支払われる。

その三。
 介添人は自分の聖別者の為、他の聖別者及び介添人と直接交戦できるものとする。
 なお、交戦の結果仮に聖別者が死亡しても、彼等は免責される。
 同様に、介添人が死亡した場合でも、聖別者は免責される。

その四。
 各使徒は他の使徒が選んだ聖別者と直接交戦することは出来ない。
 また、介添人と直接交戦することも出来ない。
 但し、使徒が用いる他の人員が介添人と交戦する場合はその限りではない。
 その場合、交戦の結果仮に介添人が死亡しても、使徒は免責される。

その五。
 聖別者は他の聖別者に対し実戦形式において勝利しなければならない。
 先に三勝した者から次段階の選別資格を得たと認める。
 ある程度の人数が脱落した時点でステアウェイは次段階に移行するものとする。

その六。
 聖別者同士の交戦における勝敗の形式は、両者の自由意志により決定できる。
 但し、あくまで勝敗の判断は裁司団(ジャッジメント)の裁定に委ねられるものとする。

その七。
 次段階の選別は、最低三名程度が三勝して以後開催するものとする。
 以後の選別方法は資格者の人数に応じ、委員会(コンシーリオ)で協議の上決定するものとする。
 
――以上である。ただし、匠が夜羽から貰った書類にはその先があった。

追加規定――その八。
 使徒同士の交戦は言うまでも無く、基本的に認めない。己の立場を考えて行動することを望む。
 仮に不可避な状況で止むを得ず交戦に至った場合は、周辺被害に配慮した上で能力を使用すること。
 なお、一切免責しないので各使徒は特に留意の上行動するよう切に願う。
                                             記 使徒長パウロ

「……結構穴の多い規定じゃないのか、これ」
しかも最後の規定は本来言う必要もないレベルだろ、と匠は思う。
誰かよっぽど暴発が心配な使徒でもいるのだろうか。
「夜羽とか……あいつ限定の文章じゃないのか?……まさかな」
だとすれば、一度も会ったことは無いが――使徒長パウロ、意外と面白い人物なのかもしれない。
「……後であいつに聞くか」
それより、問題は使徒が用いる人員の部分だった。
介添人の人数には規定があるが、それ以外の人員には「聖別者とは戦えない」という以外の規定がない。
要するに、リアの考え次第では海兵隊一個大隊が介添人たる匠だけを殺しに来ることもあり得る、ということだ。
「……そう考えると高コストな介添人だな、俺」
まあ、とは言え今の段階でリアがそこまでするとは考えづらかった。
そこまで大っぴらにやれば後始末のほうが大変だろうし、仮にそうなれば恐らく夜羽や真理王も黙っているまい。
やるとなったら遠慮のないあの二人なら、「カンサス」を白昼撃沈した上に実況映像をAJに買い取らせる程度のことはやりかねなかった。必要以上に騒ぎを広げるのは互いにとって愚策だろう。
規定条項を定めた運営委員会――コンシーリオは、ヴァチカンをはじめとする世界中の教会組織の代表者と政治家の代表からなる、ステアウェイを正常に開催するため「だけ」に存在する委員会である。
集められた教会組織の共通点は広義のキリスト教に属するというただ一点のみ。
よって、その中には異端と呼ばれがちな宗派もがりがりの正統派も含まれている。故にいわゆる普遍派教会(エクレーシア・カトリカ)のみならずプロテスタントからも相応の人数が名を連ねているが、狂信的な福音主義者を除くと後者は一般に奇跡を否定する傾向が強く、「秘蹟と奇跡の研究機関」と見なされているスティグマタに対する感情は否定と無関心が相半ばするというのが現実だった。熱心なのはAJの強力な後援者であるファンダメンタリストぐらいのものだ。
もっともそれは表向きの擁護者であるヴァチカンにしても変わらない。
彼らにとってすら、しばしばスティグマタの活動は「神の業による奇跡」を自ら否定しているかに写るのだ。所詮
純粋な信仰者にとっては、その名は瘡蓋の如く痛痒を感じさせるものなのかもしれない。
聖別者として選抜された能力者の戦いとその過程を科学的に分析し、戦わせることにによって彼らの生長を促し、神の子の原像(アーキタイプ)たるべき素材を人為的に造り出す――それがステアウェイの掲げる目標である。
彼らが単なる素材を超えたその時、過去の救世主(メシア)と同列たる「油注がれし者(クリスト)」――すなわち神の独り子は再び地上に現出し、その威光は全ての教会世界に光をもたらす。
そしてその暁には、彼を擁するスティグマタこそが全ての教会の上に立つ存在となろう。すでに今現在ですら、スティグマタの揮う裏の力は国々によっては不可欠な存在となっているのだ。
ステアウェイが目指す結果は、ある種の狂信者には優れて魅力的でありながら、同時に別種の狂信者にとっては悪魔の技としか受け取れない。にもかかわらず、委員会が開催を辞めさせようとはしないのも、結局はスティグマタの力が自分たちの教派に向くことを恐れているからだ。
とは言え、大戦後に記録上最初の開催が行われてから、既に数世代を経過しているにもかかわらずなお選別が継続されているという事実は、科学と信仰、双方の立場にしばしば皮肉な笑話を提供するものだった。
すなわち、「能力者」はいても「神の子」などいない、すなわち神による奇跡など存在しないという信仰への疑義。
あるいは「能力者」の研究をここまで継続しながら、なお科学的に説明できない、という科学への絶望。
どちらの悲観論者も絶えることなく、スティグマタを嘲り否定している。
しかしスティグマタとは、そもそもどちらの立場に拠って立つ存在なのか?
奇跡か科学か、究極的にいずれを採択するのか。
そもそも、スティグマタは本当に「油注がれし者」を望んでいるのか?
――過去の開催、一人として「油注がれし者(クリスト)」となった聖別者は存在しない。
一方で、実働部隊である「贖罪者」は、ステアウェイ参加者の生き残りや聖別者の選抜過程で外れていった二番手以降の能力者たちから定期的に補充されている。その結果として、スティグマタの抱える能力者数は年を追って増加していた。
それは即ち、そのままスティグマタ自体の強大化でもある訳だが――では、その力で彼等は一体何を望むのか?
匠がそんなことを考えていると、夜羽から電話が鳴った。
何故か妙にハイだった。
「はーい、匠ちゃんお元気ですかー。夜羽ちゃんですよっ。コンシーリオとエレミヤからの情報を……って聞いてる?」
呆然としていたのを見抜かれたらしい。生返事で答えると一瞬で機嫌が悪くなった。
「何ボケてんのよこの枯枝男は……伝えるわよ。リアの担当は十一月の聖別者――『ノヴェンバー・レイン』ね。普段は単にレインと呼ばれてるみたい。年齢は弥生より一つ下の十四才よ」
むしろ最初にボケたのはお前だろう、と思いつつ匠はまぜっ返す。
「十一月の聖別者でその仇名か。まんまだな」
「聖別者の名前なんて所詮後付けの象徴だしね。どうであれ危険が薄れるわけじゃなし――具体的な能力はまだ不明だけど、リアの存在や『雨』という名前からしても、能力は水がらみと思うのが自然ね」
リアがどう関係するんだ?と匠は聞き返す。
「使徒ヴァーソロミュー・リアのかつての諡号は「ナタナエル」だけど、エレミヤのアーカイヴによれば他にも二つの通り名があるらしいわ。「医師(アスクレピオス)」そして半ば同じ意味を込めて「血流の支配者(クロセル)」っての。クロセルの名はソロモンの七十二柱の魔神から取ったんでしょうね。彼の手は癒しの手であると同時に血流からただの水まで自在に操る液体の支配者でもある――だってさ。で、同時に彼は義の教師(マギステル)でもある。この意味わかる?」
「――自分の能力を教会魔術を経由することで印形化して、他人に移植できる能力者、ってことか」
「そういうこと。使徒にしてマギステル、なんて反則に近いけど――おかげで胡桃割りの能力についても謎は解けたわ。あれはリアの能力の一端よ」
「『愚者』のほうは?」
「そっちは教会魔術の基本七十二印形からの移植でしょうね。「ソロモンの小鍵」を扱えるマギステルなら誰でも出来るわ」
通常、能力を持たぬ者に残響を付与した印形を焼付ける作業――「烙印」により無理やり能力者を作りだすには失敗も多く、また大規模な施設と長期にわたる調整期間を要する。
匠が知る限りその設備を備えているのはスティグマタ本部や独逸の「レーヴェンスボルン」といった数箇所のみ。無論米国が密かに保有していても不思議はないが、プロテスタント福音派が主体のAJにヴァチカンの庇護下にあるスティグマタがその技術を進んで供与したかどうかはやや疑わしい。しかし、リアのような存在が手を貸しているならさもありなん、ではある。
「弥生はリアと直接戦うわけじゃないけど、参考にはなるんじゃない」
ところで、あんたが行った場所は現在米国海軍(ネイビー)の監視下よ、と夜羽は続ける。
周辺で監視を続けているが敷地の内部までは走査できないらしい。罠や地雷があっても不思議ではないとのことだ。今頃リアたちは戦いの準備を粛々と進めていることだろう。
ちなみに、戦いに関してはまだ日時の指定もない。敵の手の内で戦うのは本来避けたいが、他人を巻き込まずにすむ、と言う点においてはあの場所も悪くはなかった。匠はまだ、乗るべきかどうか決めかねている。
「いっそこっちから仕掛ける?貴方の準備さえ良ければ日程は調整するわよ」
「いや、弥生には少しでも時間が欲しい」
「……そうね。真理王との訓練は確かにもう少し進めておきたいわ。で、貴方は?銃とケースはもう届いたわよね」
「ああ――昨日、資料と一緒にな」
「努力してるかしら?銃はともかく、アレに頼る展開はあまり考えたくないけど、もし――」
匠はその先をあえて遮る。
「心配するな。必要だと思えば、迷わず使うさ」
「――そう。いずれにせよ、時間はあまり無いわよ」
「判ってる」
「その言葉、信じさせてね」
通信は切れた。
――匠の傷痕は、疼く。
しかし、それだけだ。
何も、変わらない。

――華美な意匠は無く、荘重さもそこそこ。
何の変哲もない、墓所の片隅の真新しい墓石。
少女が訪れたとき周囲に人の気配は無く、ただ静寂のみが在った。
しかし、誰かが訪れた痕跡はあった。
西洋で墓所の十字架にかけられるような花を象った花飾り(クロッサンドラ)が、墓石の前にそっと置かれてい
た。
そして、その傍らには、小さな銀の十字架。
少女は、十字架を手に取る。
裏側にはアルファベットが刻まれていた。――ラテン語。
「Fortuna divitias auferre potest,non animum.」
――少女はしばらくの間、それを見つめていた。

少女の自宅にはコンピュータが無かったので、携帯で男が以前言っていた単語を検索してみた。
とりあえずまつわる話を幾つか読み要約してみる。
旧約聖書においてカインはアダムの長男であったが、弟アベルがより神に愛されたのに嫉妬し彼を殺してしまう。
故にかれは最初の殺人者となった。神はかれに常にそれとわかるよう印をつけた。
すなわちそれは殺人者の烙印。
私は他の者に打ち殺されてしまうでしょう、と嘆くカインに、しかし神は一定の慈悲を与えた。
いや、カインの最期を思えば、あるいはそれこそが呪いの本体だったのかもしれないが。
――おまえに仇なすものは、誰でも七倍の復讐を受けるであろう。
最終的にカインは年老いて後、崩れ落ちた家に潰されて死んだという。
それは即ち、人の手でなく神自身の手によってカインを殺すことを望んだ神の所業なのだと。
カインの印。それは殺人に対する断罪と呪い、そしてにもかかわらず与えられた死までの一定の猶予と言うことなのだろうか?
ならばあの二人は一体何を負わされているのだろう、と少女は思う。
まだ、気持ちには波が立っている。
兄がいない日常に慣れることは、しばらく――もしかしたらずっと、慣れることは無いだろう。
今度二人に会った時、自分が何を言えるのかも判らない。   
でも、知っていることは、ある。
「葉月さんのために、戦います」
あの子は、そういってくれた。そして、その通りに行動した。
だから、少女の心はもう決まっている。自分は、あの二人に対して何が出来るのか。
とりあえず、事情を知ってやる。
匠をぶん殴っても、聞き出してやる。
「会いに……行かなきゃ」

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