創作「A Change Of SeasonsⅩ」

-ChapterⅩ-

伝令使と別れ、帰り着くと既に日は暮れていた。
ビルの窓を見上げると事務所のある階の一角が明るい。
電気が付いている?
記憶では消して出たはずだったのだが。

――路上で倒れてから数日後。
院長室に呼ばれた匠を待っていたのは最悪の知らせだった。
机の上に置かれたそれは――封印の無い、黒の封筒。
「どうやら、弥生は常に監視されておったようだな」
「――『エリシャ』ですか」
保護者が報告しない可能性も顧慮して、子供を預けた所は全て継続監視する。
確かに、予測はしてしかるべきだった。しかし、これは悪夢よりまだ悪い現実だ。
「中は?」
灰村は明らかに憔悴していた。まだ見ていない、と弱弱しく首を振る。
「……君が見てくれんか。まだ心の準備が出来ておらぬ……情けない話だが」
「――判りました」
封筒の中に入っていたのは文書ではなく一枚の映像ディスクだった。説明も何も無い。
――ビデオレターもどきか。
ここまでくると悪夢と言うよりむしろ冗談に近いな、と自嘲して映像ディスクを再生する。
特にプロテクトはかかっていないようだ。
再生画像はふざけたことにほとんど固定だった。どこにでもあるような教会の風景。
十字架がズームされ、そこで止まる。
音声だけが淡々と流れ出す。報告の羅列から始まるそれを苛苛と聞き流しながら「本編」を待つ。
早送りしようかとも思ったが、さすがにそれは止めた。
弥生が孤児院に来た時からの経過観察が延々と続く。その時間のうちに見るものに状況を納得させようとするかのように、ただひたすら抑揚の欠落したアナウンスは流れていく。ボイスチェンジャーを使っているのか、その声には如何なる特徴も感情も見出せない。
「能力賦活性は現状、低域に留まる」
「しかしながら今後更なる成長が見込めると予測される」
匠の頭には、正直断片的にしか内容が入ってこない。憂鬱な気分が彼を支配している。
「また、能力原型として発生頻度の低い系列に属する」
「故に転写原型(アーキタイプ)として有用と考えられる」
「故にエリヤ四局の共同見解を伝える」
「見解は預言として伝えられる」
ボリュームが少しだけ大きくなった。「預言(ナビゲーション)」はスティグマタにおける絶対命令である。
贖罪者である限り、その言に反することは許されない。やむを得ず、匠も聞き逃すまいと続く言葉に耳を傾ける。
「故に士針に則り贖罪者・柊匠及び揺り籠の父・灰村幸四郎は預言に従うべし」
「伝える」
荘厳さの演出のためか、わざわざ多重録音されたと思しき「預言」が流れ出す。
「灰村弥生に聖遺物仮胎を施し」
「灰村弥生を聖別者と為し」
「ステアウェイに参加させるべし」
「拒否は許されない」
「生死を問わず逃避は許されない」
「速やかに士針に則り――汝等為すべきを為すべし」
映像と音声は同時に切れた。
画面には空白だけが残されたが、匠にはその白さがそのまま自身の心の空虚のように思えた。
よりによって、ステアウェイ――だと。

 彼は主の前に芽のごとく、燥きたる土よりいづる樹株のごとく育ちたり。
 我らが見るべきうるはしき容なく、うつくしき貌はなく、われらがしたふべき艶色なし。
 彼は侮られて人にすてられ、悲哀の人にして病患をしれり。
 また面をおおいて避くることをせらるる者のごとく侮られたり。我らも彼を尊まざりき。


結局、弥生に説明するのも匠がすることになった。正直心苦しいが、言わないよりは早めに言ったほうがまだましだ、と自分を納得させる。
「――手術ですか?」
「聖遺物の『かたちと力』を弥生の能力を増幅する事を期待して身体に転写する」
 聖遺物のもつ残響――AE(アストラルエコー)の理論と仮胎について説明する。
ナノマシンを媒体として二次元的に印形を転写する聖痕(スティグマ)の発展形である聖遺物仮胎は、聖遺物の「かたち」を体内にナノマシンで三次元的に再構成し、実物と同様のAE力場を顕現させる。
すなわち、聖遺物の実物ではなくそのゴーストとでも呼ぶべき物を体内に再現することから「仮胎」と呼ばれるのだが、匠の知る限りでは聖遺物との同調が非常に重要とされており、聖別者の候補といえども相性が悪ければ死に至ることも珍しくないという。
「わたしの身体に、その……聖遺物を?」
「成功すれば弥生の力は、恐らく拡大するだろう。だが、それが永続化する保障はどこにもない。最悪、今ある力も喪うかもしれない。それに」
――ステアウェイ。あれに、彼女を参加させるのか?
弥生はしばらく黙っていた。が、ややあって呟いた弥生の口調は、むしろ嬉しそうだった。
「……でも、うまくいけば、走れるようになるのですね」
再び俺を見たとき、既に彼女の意志は固まっていた。
「わたし、手術を受けようと思います。でもその前に、一つだけお願いが」
「――お願い?それは」
匠を遮るように、彼女は続ける。
「匠さんは、手術が本当に私のためになると思っていますか?」
口調は激しくはなかったが、中途半端な言い訳を許さない強さがあった。
「そうでも、そうでなくても――ちゃんと答えてください」
 
 まことに彼は我らの病患をおひ我らの悲しみを担へり。
 然るに我ら思へらく、彼は責められ神にうたれ苦しめらるるなりと。
 彼は我らの咎のために傷つけられ、我らの不義のために砕かれ
 みづから懲罰をうけてわれらに平安をあたふ。
 その打たれし痍によってわれらは癒されたり。
 われらはみな羊のごとく迷ひておのおの己が道に向かひ行けり。
 然るに主はわれら凡てのものの不義を彼の上に置き給へり。


弥生。お前はあの人とは――惑とは、違う。
だのに、同じ道を歩むのか?
「私のため、ではないのですか?」
懇願にも似たその言葉に、なお匠は直接答える事は出来なかった。
「――立場上、反対はできない。だが、知っておいて欲しいことがある。弥生は、同じような境遇の誰かと戦うことになる。最悪、お互いを殺し合うような戦いだ。それでも、お前は」
「匠さん」
弥生は再び匠の言葉を遮る。そして息をついてから、きっぱりと言った。
「匠さんを、信じています。わたしは、匠さんの事――」
「やめるんだ」
今度は匠が弥生の言葉を止めた。
「俺に、そんな資格はない」
俺は何も信じていない人間だ。人に信じられる資格なんてない。お前のことだって俺は――
「……やめません。匠さんが、同じ顔の誰かをわたしに見ているのは、知っています」
はっとして、彼女の眼を見返す。そこに気弱さはなく、迷いも無かった。
「でも、わたしが今笑えるのは、匠さんがいるからだということを、わたしは自分で知っています。匠さんはわたしを連れ出してくれました――あの部屋から、そしてわたしが自分で作った心の檻から」
 
 彼は苦しめらるれども自ら謙りて口を開(ひら)かず。
 屠場に引かるる羔羊の如く毛をきる者のまえにもだす羊の如くしてその口を開かざりき。


「だから匠さんが良かれということなら、わたしは喜んで前に進みます。この足で」

 かれは虐待と審判とによりて取去られたり。
 その代の人のうち誰か活けるものの地より絶たれしことを思ひたりしや。
 彼は我が民の咎の為に打たれしなり。
 その墓(はか)は悪しき者とともに設けられたれど、死ぬるときは富るものとともになれり。
 かれは暴をおこなはずその口には虚偽なかりき。


「だけど、もし世界が全て貴方を許さないだとしても、信じないのだとしても」

 されど主は、かれを砕くことをよろこびて之をなやまし給へり。
 斯てかれの霊魂とがの献物をなすにいたらば、彼その末をみるを得その日は永からん。
 かつ主の悦び給ふことは彼の手によりて栄ゆべし。かれは己がたましひの煩労をみて心たらはん。
 わが義き僕はその知識によりて多くの人を義とし又かれらの不義を負はん。

「わたしは、ゆるします。そして、貴方を信じます――だから」
「何も信じないなんて、言わないでください」

 この故に我かれをして大なるものとともに物をわかち取しめん。
 かれは強きものとともに掠物をわかちとるべし。
 彼はおのが霊魂をかたぶけて死にいたらしめ咎あるものとともに数へられたればなり。
 彼は多くの人の罪を負ひ咎あるものの為にとりなしを成せり。
                        ――旧約聖書 第二イザヤ書 第五十三章第二~十二節


俺は、あのとき涙を流したろうか。記憶が無いということは、たぶんそうなのだろう。
気がついたとき、俺の頭は弥生に抱きかかえられていて。
――そして彼女は、最初に会ったあの時と同じ顔で、笑ったのだ。

階段を上る。
彼女は当時十三歳だった。だが、その言葉は既に年相応のものではなかった。
彼女は手術を決断し、聖別者となった。行く手に待つのが茨の園であろうと苦痛の地獄であろうと、自ら歩み続けることを表明したのだ。例え、それが生まれたときから仕組まれたものと知っていたとしても、なお。
だが匠にとってそれ以上に大事なのは、彼女の言葉で、自分にもまだ出来ることが有ると思えたことだ。
それを忘れるはずが無い。
ならば匠は彼女のために、何をすれば良い?
いつの間にか、扉の前まで来ていた。鍵はかかっている。しかし電気は消して出た筈だった。
誰かが中にいるのか。
トラップに注意しながら、鍵を開ける。応接の電気は付いていた。テーブルの上にポットと手紙、それに一冊の本が置かれている――出たときは無かったか?
手紙をめくると、弥生の筆跡があった。ほんの数行。

――先におやすみします。ポットにお茶が入っていますので飲んでください   弥生

少なくとも、戦場に行ったのではなさそうだ。ヘルメスが嘘をついたのだろうか?
寝室をのぞいてみる。ベッドの上。……いた。眠っているようだ。
ふう、と息をついた。安心している自分が滑稽だった。だが、むしろそれも心地よい。
とりあえず安心したが、一つ気になることがあった。応接に戻り、テーブル上の本を手に取る。その装丁には見覚えがあった。
士針基底聖句集――ビブリオス・ギデオン。
スティグマタの、特に贖罪者――イザヤに属する人間にとって第三の聖書とも呼べるその中身は、贖罪者の行動指針や規律・戒律を韻文や四行詩の形式で記載したものである。
聖句はその喚起力ゆえしばしば改変されて呪式や祝詞を組む際に利用されるのだが。
「……何故、これが?」
匠は昔から持っている。しかしこれは新品だ。弥生のものでもない筈。彼女も式を組むために基底聖句から引用しているが、それは匠のから写させたものだった。誰かに貰ったのか?
茶を淹れながら考えていると、ヘルメスの言葉が蘇った。
ページを繰って末尾を確認する――やはり。基底聖句に第十三章は存在しない。本文は第十二章で終わっていた。
では、あの言葉の意味は?さらに頁をめくる。
版元を記した最終頁の後の空白に、匠は手書きのセンテンスを見つけた。
誰かの詩の引用のようだ。弥生とは異なるその筆跡。しかし匠には見覚えがあった。

 Why did give no hint that night
  That quickly after the morrow’s dawn,
 And calmly, as if indifferent quite,
  You would close your term here,up and be gone
   Where I could not follow
   With wing or swallow
   To gain one glimpse of you ever anon!


「雨宮 惑――」
その名は、匠にとって最良の祝福と最悪の過去を想起させる呪いを同時にもたらす。
何故、これを弥生が持っているのか?何時何処で手に入れたのか。
いや、それよりも、この詩は何を意味するのか。
惑は――何を思ってこれを書いたのか。
喉が勝手に渇く。熱い茶を飲み干し、何とか心を冷まそうとする。
――落ち着け。匠よ、落ち着け。
冷たい汗を拭ううちに、ようやく気持ちが定まってきた。
――弥生は、何か知っているのだろうか。
そっと寝室の扉を開け、ベッドの横、椅子に腰掛ける。
月明かりに照らされて彼女の横顔が浮かぶ。
よく眠っていた。安心しきった顔で。
すう……すう……と規則正しい寝息が心地よく響く。
寝顔を見る。この二年間を彼女と過ごした記憶が、一つ一つ思い出せる。
あのとき、手術が良い方法だとは最後まで言えなかった。手術のあともステアウェイがいつ始まるのか怯えていた。今までずっと、それが見せるかもしれない地獄を恐れていたのだ。
だから少しでも、この時間が続くことを願っていた。
だが、選別が始まった今になって、匠は思う。
これからも、この時間が続くことを願う。
たとえこんな自分であろうとも、この心の底の熾火を絶やしたくはない。それがもたらすぬくもりを。彼女の、笑顔を。
たとえ、それが許されざる願いであっても、もしそれが誰かに聞き届けられるならば。
彼女が彼の煉獄であろうとも、その面差しが、過去の地獄へ誘う道を思い出させようとも。
柊匠は此処で生きるだろう――彼女と供に。
「――聞くのは、明日にするか」
「匠……さん?」
半分眠りの中のようだ。
そっと頬に手を触れ、告げる。
「……おやすみ」
「うん……おやすみ……なさい」
夢を見ているのか、聞こえているのか判別し難かったが――弥生の寝顔には、柔らかな笑みがあった。

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