創作「A Change Of SeasonsⅩⅡ」

-ChaperⅩⅡ-

連続する銃弾の発射音。
機関銃と思しき一斉射撃が弥生を襲う。レインの背後に控える支援部隊の援護だ。
弥生から距離をとりつつレインはヘッドホンのスイッチを入れた。もとより、接近戦を挑むつもりはない。
ローマの大神ユピテル、その別名たる彼のちからの顕現「雨雲(プルヴィウス)」は所定の位置にすでに浮揚している。あとは自らをより喚起して能力を開放するだけだ。
流れるのはリズムの強調された硬質な耳触りを持つインスト曲。能力のかたちをイメージするのに適した曲を彼自ら集め編集したものだ。
「さって、行こうか――?」
軽口は途中で止まった。眼前の光景に眼を奪われる。
何事も無かったかのように、弥生は佇立していた。
機関銃の弾幕はかなりの高密度だったはず。ひょっとしたらとの予想もあったが、まさかことごとく躱すとは、とレインはしばし呆然となる。――見た目全くの無傷、だって?これでは計画に微調整を加えざるを得ない。
レインが操る雲の移動範囲は半径十メートル前後。
彼としてはその中に彼女を留めておかねばならないが、一方で弥生にしても近接戦でなければ打つ手がない。
なんとかして懐に飛び込もうとするはずだった。
故にレインの勝利は支援の弾幕により、弥生の動きを限定することでより速やかに引き寄せられるはずだった。
しかし今の事態をどう見るべきか。
「第二次斉射!」
支援部隊の長が命じると同時に掃射が再開される。だが弥生はその全てを変わらず躱す――いや、弾く?
レインはやがて、法則性に気づいた。
弾丸は弥生が動く方向の反対に集中して弾かれている。「押しのける」ように。ただ反射している訳ではない。だが、それは何を意味する?
理解し難い状況に対する動揺を振り払うように彼が叫ぶのは「聖パトリックの守り」の一節。
これは支援部隊に対する合図だった。――巻き込まれたくなければ引っ込め、と。
「――今宵、悪に抗う全ての力を喚起せん。我が肉と魂を侵せし残酷にして無慈悲なる力に対し」
しかし、その言葉には弥生も反応した。冷静にその続きを返したことにレインはさらに驚く。
「――主がわたしを守ってくださるように。毒から、火傷から、急流から、そして怪我から。しかして豊かな報いを授けられますように」
さらに逆に問われる。
「――報いを得るのは、どちらでしょうか」
どうやら、図太さは弥生のほうが一枚上のようだ。
ぎり、とレインは唇を噛む。何たる屈辱か――しかし、その口元はやがて笑みを取り戻した。
――これも楽しいじゃないか?ならばせいぜい付き合ってやるさ。
「この銃弾が――あなたの能力ですか?違います、よね」
弥生は重ねて問う――しかし、会話に気をとられて一瞬動きが止まった。
そこをレインは見逃さない。誠実ならざる戦意をもって返答する――喚起とともに。
「両方に答えるよ。君は火傷と急流からは身を守れない――相手が僕である限り!」
上空でその時を待っていた「プルヴィウス」が渦を巻き――黒灰の乱雲へと変化した。
雨がぽつり、と弥生の肌を叩いた瞬間、じゅっ、と音を立てて肌を焼き煙が生じる。
「……酸」
弥生が驚いた表情を見せる。先ほどのは挑発ではなく本当に知らなかったようだ。
いいだろう。全部見せてやるさ、とレインは哄笑とともに宣言する。
「はっ――まだまだ、驚くのはこれからだよ、ベビーフェイス!」

「リアに動き無し。銃器による支援は後退させた模様」
「戦場周辺、夜羽及び他使徒の干渉は検知されず」
「了解」
それぞれが戦場を見渡せる高台に陣取り監視する六名。
全て漆黒の神父服を纏っているがその目には服装に不釣合いな暗視スコープが嵌っている。
彼らはステアウェイのためにこの国に呼び寄せられた各国教会からの選抜者である。
裁司――ジャッジメント。所謂「士師」と同じ称号で呼ばれる彼らは本来、高位能力者を前にしても臆することなく裁定を進行する任を負うが――今、彼らは眼前の光景には目を奪われていた。一人が呟く。
「むこうも、第二幕のようだぞ、諸君」
彼は敷地への入り口――匠とグラウディンの戦場を見つめていた。
「こちらも動く。集中せよ」
そう発言した別の男に対し、首のチョーカーに内蔵された通信機から又別の同僚の声がした。
「――黒夜(ニゲル)。貴方はこの行方、どう見る」
「集中せよ、と俺は言ったぞ。貴公の聴覚神経は断線中か?そもそも俺の意見は各々が下す裁定には不要と考えるが」
「貴方は前回の選別も裁いている。多少なりとも解説を聞かせてくれないか」
「解説とは今更。貴公等、決闘を見たことがないとでも?」
「わたしは教会における敬虔な羊であると自認している。きみたちはそうではないのか?」
「今回の裁定者に童貞が混じっているとは聞いていなかったが」
複数の失笑が起こる。音声は全て共有されるため、彼の皮肉は全員が聞いていた。
「言い過ぎだぞ、ニゲル」
これは先ほど匠たちを観察していた男だった。他の連中に比べるとまだ落ち着いている。
「むう――我々とて能力者を見たことが無いとは言わぬが」
「他人の解説が必要ならそもそも裁定を担う資格は無い」
新人ばかりならあらかじめ班内で眼合わせでもしておけ、と思ったが口には出さない。
「確かにその通り。謝罪しよう。だが」
「黒夜」は微かな溜息の後に答える。
「簡単なこと。最後まで立っていたほうが勝つ、それだけだ」
「相討ちなら?」
「通常は後から倒れたほうが勝者であろうが、そちらが先に死ぬ場合もあるだろうな」
「死人が出るまで誰も止めぬというのか」
「おお神よ……私は恐ろしい。これが聖別者同士の戦いか」
まだ韜晦している者がいる。馬鹿か――と「黒夜」は思う。話を打ち切るため全員に告げる。
「総員、裁定に集中しよう。感想は後に」
「了解」
通信は切れる。「黒夜」と呼ばれた男は嘆息する。
――確かに、恐ろしい光景かもしれぬ。だがそもそも彼らを、スティグマタを作り出したのは我等が教会そのものだ。それをこそ、俺達は恐ろしいと思うべきではないのか?
「……神よ、ステアウェイとは許される行いなのか。それを監視することしかできぬ俺達は、果たして許されるのか?」
彼の呟きは、誰にも聞かれることなく闇に溶けていった。

――リアはグラウディンと匠の戦いをモニターで見ている。
匠の「アバドーン」がどれほど威力を維持しているかは未知数だったが、グラウディンの「エティエンヌの月」は近距離でも遠距離でも対応可能な聖遺物であり、接近戦に向かない「アバドーン」より戦術の幅は広い。
レインの戦いが終わるまで足止めは十分に可能なはずだった。
また彼を通して得たデータは、リアが今後投入するかもしれぬ枷徒にとっても良いサンプルとなるだろう。
とはいえ、戦闘における優位性についてはリアは楽観していなかった。匠とてゼカリヤの最前線で死線を潜り抜けてきた男である。いかにグラウディンが聖遺物の扱いに長けているとは言え、いかんせんまだ若い。
前回の匠はただの一般人にしか見えなかった。狼に脅える羊の眼。
罪を償うためにさらなる罪を負える男ではない――そう感じた。
だが、弥生のためならば果たしてどうだろうか。
彼は再び罪を負う覚悟があるか?
仮に羊の皮を剥いだとして、その中には何が居る?
いずれにせよ、とリアは思う。匠よ――羊のままでは、グラウディンに喰われるぞ。

その匠は今、廃棄コンテナの影の中にいる。
啖呵を切ってはみたものの、正直やや手詰まり気味だった。
有体に言って結構格好悪い。
「……このまま死んだら只の馬鹿だな、俺」
グラウディンの「エティエンヌの月(ラハト・ケレブ)」は物陰にも正確に飛んでくる。しかも体に当たろうが瓦礫に刺さろうが、そこから正確に同じ軌道を描いて戻っていくのだ。ブーメランと言うよりむしろ紐がついているかのような動きだった。
匠の飛煌は現状で高さ四メートル、半径十メートル程度までしかコントロールできない。グラウディンは効果範囲を早々に見切ると、その外から匠に向かって刃を放つ戦い方を徹底していた。どこに飛び出す振りをしても的確に刃を放ってくる。うかつに突撃すればその瞬間に切り裂かれるだろう。
既に隙を突こうとして腕と足、数箇所を切られている。出血はさほどではないとは言え、匠には、ここで時間をかけている暇はない――さて、どうしたものか。
懐にまだ納めたままの冷たい鉄――拳銃の感触を確かめながら、匠は考える。
対するグラウディンはあくまで冷静だ。間合いを測りながら、ゆっくりと語りかけてくる。
「知っているか?胡桃割りが死体を積んだ理由を」
「……ケルンに見立てたんだろ」
「本来、ケルンは死者の上に築くものだった」
「……何を言ってるんだ?」
「いつか、ヨシュア記を読み返してみると良い」
確かに、征服した町の門にその町の長を埋め石を積んだという描写があったが。
「あるいは、罪人が石もて打たれる物語を思い返しても良かろう。彼にとって、血の弾丸と切り刻まれた死体はともに石の代わりだったようだ。街を神の御名によって征服する象徴だった訳であるな」
「――だから何だ?」
「堕ちたとは言え、胡桃割りはあくまで『ヨシュア』の一員だったということだ――今までよく働いてくれた、とAJの人間は嗤っていたがな」
グラウディンは無表情のまま吐き捨てる。
「――AJと自分が無関係のような言い草だな。お前もカンサスに一緒に乗ってきたんだろうに」
「先ほども申したが――某はネヘミヤの第三庭所属。AJと直接関係は無い。カンサスも任務のため間借りしているにすぎん」
彼らの教義に感興も覚えぬしな――彼は攻撃の手を緩めぬままそう話す。
「現在、我々はとある逸脱者を継続して追跡している――六年前、前回のステアウェイにおいて病院一つを丸ごと消滅させ逃亡した、一人の元・聖別者をな」
「――ネヘミヤが、逸脱者を、だと?」
その言葉に匠は違和感を覚える。
普通ならスティグマタからの逸脱者――すなわち背教者、裏切り者を裁くのはゼカリヤ、もしくはヨシュアの役目だ。
にも拘らず、浄化部隊であるネヘミヤが動くということは。
その者がすでに人でなく、魔の領域にある――そうスティグマタが認定した、という事でもある。
「そう。本来ならネヘミヤが出張るような任務ではない――だが、その逸脱者は特別でな」
そんな逸脱者は――自分は一人しか知らない。
「貴公ならあるいは消息を知っているのではないか――そう我々は考えた。レインの介添人を引き受けた理由にはそれも含まれている」
グラウディンはそう言って――逸脱者の名を紡ぐ。
「『旅神』最高幹部が一人――水天宮惑」
――彼女のかつての名は、雨宮惑。
「どうだ?彼女の記憶もサラザールに奪われたままか?タクミ・ヒイラギ」
「惑ね……全く、どこに行ってもその名からは逃げられないらしいな」
ヘルメスに、貴方はその名だけは忘れるはずがない、と言われた、その名。
そう、確かに――その名は覚えている。
「惑は――今、何をしようとしている?」
「それを我々も知りたいのだよ――聞くが、本当に貴公、心当たりは無いのかね?」
サラザールは、当人にとって忌まわしい記憶のみを残し――他の全てを奪う。
だから、匠にとっての惑は、既に不定形の恐怖であり悔恨でしかない。
それは恐怖の断片として、悔恨の欠片としての名でしかない。
しかし――それ以外に彼女との間には何かがあったこともまた、覚えている。
たとえ、体験そのものは奪われたままだったとしても――それだけは、今だに覚えている。
それは確かな、幸福の追憶。それは確かな、悲哀と喪失の記憶。
――だとしても、匠はそれに拘泥しない。
何故なら、今は。
「知ってるとしても、通してくれないのなら――教える理由は無いな」
惑が今、何を想っているとしても。
かつての自分との間に何があったのだとしても。
弥生と如何なる関係があるとしても。
――今大切なのは、弥生だ。
「致し方無し――リア師の依頼は反故にできん。まあ我々のほうは、別に今喋ってもらう必要も無いのでな」
そう言って、グラウディンは凄絶な笑みを浮かべた。
「全て終わった後、ゆっくり聴取させて頂く――!」
――聖句を唱える。
「我ら罪と供に生き罪と供に滅ぶ――我が罪を剣と成し汝を断罪せん!」
「――そうかよ」
匠もまた、聖痕より更なる力を流出させる。
血が逆流するかのような痛みが走るが、意に介する余裕はとうに無い。
「信認せん(AMEN)――再起せよ蝗の王」
互いに自らの前に自らの力によって力を顕現させる。
神の名も、悪魔の名も彼らの内より汚濁と欺瞞を引きずりだすための道具であり。酸鼻なる所業を為すための都合のいい言い訳に過ぎない――そう、俺もお前も所詮同族、カインの印を負う者だ。
だから、出し惜しみはしない。例え己が焼かれようとも、お前もまた必ず灼く。
「今一度我意志を炎に燔べよ、しかして霊肉共に喰らい尽くせ」
夜羽から送られた銃を取り出す。そろそろ使いどきだろう。
「――やっと殺しあう準備が出来たと、そういうことか?」
「……さあな」
「良かろう――そろそろ暖まってきたころでも、ある」
「――なんだと?」
暖まる――その言葉に違和感を覚えた次の瞬間。
彼が姿を隠していたコンテナが――いきなり、切断された。
「――――!」
――切断面の鉄が、どろどろに溶けていた。
手元に戻った刀をかざしつつ――グラウディンは笑う。
「ラハト・ケレブの真の意味、味わえ――タクミ・ヒイラギ」
――そもそも、ネヘミヤは贖罪者の中でも選り抜きの能力者で構成される。
具体的には、まず第三階梯以上の能力者でなければ隊員にはなれない。
ちなみにステアウェイに参戦する聖別者候補は第三階梯~第五階梯相当とされている。
最も、現在の弥生に関して言えば第三階梯というのはやや怪しいところではあるが。
匠はかつてゼカリヤに所属していたころは第六階梯にあったが、現状はせいぜい第二階梯の上というところだろう。
弥生よりもポテンシャルでは恐らく低い。
そう――だから、今の拮抗状態が奇妙だった。
ネヘミヤの一員たるグラウディンの能力が、この程度であるはずはない。
「エティエンヌの月」以外の。彼自身の能力は――果たして如何なる力なのか。
そしてそれを今――匠は眼にしていた。
刀を絶え間なく投擲し、匠を遠距離に貼り付けたまま――グラウディンは語る。
「『エティエンヌの月』を触媒として増幅される、某の能力について話しておこう――知らずに灼かれるのも不幸故」
その能力は、言うなれば「熱停滞」。
例えば、薄い皮膜のようなものが刀を覆っていると考えてみよう。
その皮膜は――運動によって生じる熱を、そのまま皮膜に保存する。
故に、皮膜を施された運動体は、大気の中を飛び交うほどにより多くの熱を皮膜に蓄えてゆく。
「中の鉄には影響を及ぼさぬ故、切れ味はそのままに熱だけが蓄積されていくと言う寸法だ」
そしてその熱はひとたび刃が物体と接触するや否や解放され――爆発的な熱量によって切断面を焼き、溶かす。
「しかも、その時の摩擦によって生じた熱はまた回収される故、蓄えられた熱が散逸することは無い。某が能力を解かない限りは――な」
しかもグラウディンは、匠の飛煌をも幾度となく切り散らしていた。となればその熱も当然取り込んでいる、ということなのだろう。
「なるほどね――こっちから塩を送ってたわけだ」
「左様――某はこの力を以て第四階梯に昇った。嘗て貴公が通りすぎた場所ではあるが、さて――今の貴公にとっては如何かな?」
要するに、拮抗状態が長引けば長引くだけ、刀が保持する熱量は上がっていくということだ。
その内掠めただけで体を焼かれかねない――ならば、とっとと勝負を決める必要があるだろう。
「いいだろう――こちらの準備も出来た」
拳銃を構え――飛来した刀を交わすと同時に発砲する。
――当たらない。明後日の方向に消える銃弾を見もせず、グラウディンは反撃する。
「何処を狙っている!」
一旦戻ると見えた刀が途中で方向を変え――再び襲い掛かってきた。
「――ちょ、一回ごとに戻るんじゃなかったのかよ!」
慌てて再び躱し――発砲。
「……一言もそんな事は言っておらぬ。それより、貴公、銃の練習もしておらんのか?」
確かにそうは言ってなかったな。
「――してるさ」
単に下手糞なだけだ。真理王にも呆れられるほどに、な。
「――昔は、銃を使う必要もなかったからな!」
撃つ。撃つ。撃つ――一向に当たらない。
飛来する熱の塊を避けながら発砲できているだけで奇跡のような状態だ。
喪った記憶の中には、兵士としての経験記憶も含まれている。
故に今の俺は素人からやり直しているようなもの――それもいささかスジの悪い素人だ。
だが――今は、とりあえず一発でいい。
当てられさえすれば。
一瞬、躱すのが遅れた瞬間に発砲した何発目かの銃弾が――
「がはっ――!」
左肩の付け根に命中。同時に匠の左足も、「ラハト・ケレブ」が掠めていった。
肉の焼ける臭いを感じつつ――確認する。
貫通はしていない――それでいい。
グラウディンの利き手ですらないが――それで、いい。
――何故なら。
「ち……だが生憎、投げるのに支障は……なっ――!」
――そう。グラウディンの傷から、真紅の炎が――飛煌が噴き出したから。
炎の輝きが彼の体を舐め――傷から全てを喰らい尽くそうとする。
「――がああああああっ!」
放置すれば体全体を食い尽くすであろう炎の蝗に対して、グラウディンのとった対策は迅速だった。
「――とどまれ、疫病の――蝗!」
彼は自らの手を傷に突きこんで――それ以上の侵食を止める。
その手の周辺から、枯れ墜ちるように飛煌が消滅していく。
――その皮膜は熱を吸収する。
恐らく自らの手に厚い皮膜を作り、燃える傷周辺の温度を吸熱し、急速冷却することで消火したのだろう。
迅速な判断――とは言え、激痛を伴う応急処置には違いない。
立っていられず、膝をついたグラウディンにゆっくりと匠は近づく。
――十メートル以内に入れば、もはやそこは匠の領域だ。
指の動き一つで相手を消し炭に出来る距離まで入ってから――声をかける。
「――ここで終わりにしとこう。これ以上はお互い時間の無駄だ」
焼け爛れて酷い有様だが――動脈などの急所は外れているようだ。
「同意し難いが……認めねばならぬようだな」
「結果的には、丁度いい場所に当たってくれたみたいだな」
「聞かせろ……何故銃弾から、飛煌が」
――そのからくりは。
「――俺の触媒は煙草じゃない。煙草は、あらかじめあるものに浸してあった――その弾丸もな」
「浸す、だと――まさか、それは」
――そう。匠が用いる触媒――同時に「アバドーン」の力の源は。
「まさか――貴公自身の、血か」
血に浸した後で干した煙草(当然吸うためではない)。自らの血に浸した銃弾。
「アバドーンの特性について、もう少し良く調べておくべきだったな」
「……血を触媒に、飛煌を生み出したか」
「俺もこの二年間、ただ遊んでたわけじゃない」
喪われた戦闘経験や能力の応用法。無論、かつてとは能力値の上限自体が異なるため、再学習したところで全てが生かせるわけでもない――例え同じやり方を用いたとしても、恐らく嘗ての自分には遠く及んでいないだろう。
そもそも、自分の中には今なお「アバドーン」に対する恐怖と拒絶がある。それはサラザールに与えられた呪いであり、同時に彼自身の意志でもあった。
しかし、その力の源だけは――未だ匠の身体に残されている。
そう。彼の心臓より送り出される血そのものが聖遺物――疫病の蝗の主、破壊者にして奈落の王――「アバドーン」なのだ。
「……グロッサラリアからは『七鍵図書館』の第三層までしかアクセス出来なかった。故に公式記録でしか『奈落の王』については知らぬ――ゼカリヤ時代の得物も無い貴公のこと、楽勝と侮ったのが仇となったか」
「目算が外れて残念だった――と言いたいとこだが、あんたの見立ては正しいよ」
もし、グラウディンが最初から自分を殺す気だったら――恐らく、勝負はもっと早くついていたはずだ。
熱停滞を初回の一撃から使われていたら、恐らくなすすべもなく首を落とされていたろう。
グラウディンの、惑の情報を手に入れたいネヘミヤとしての義務が邪魔をした。
「アベルの血――『パンタグリュエル』。原初の残響を宿す自律聖遺物こそ『アバドーン』の基盤とはな……成程、諸先輩が恐れるわけよな――」
「出来損ないの、死に損ないだがな」
「しかし、ならば『惑』が魔であると同様、貴公もまた――そうなのか?」
「――否定は出来ない、とだけ言っとく。詳しいことは忘れたか、元から知らんのか――今の俺には解らない」
「……成程、失礼した。だが、ならばそれでも貴公はあくまで人間たるを選ぶのだな――タクミ・ヒイラギ」
「……さあな」
「自分の傷を見ればその程度は理解出来る――貴公、手加減したであろうが」
「あれで一杯一杯だっただけさ。お前こそ、最後まで殺す気無かっただろうに」
「……某は、これでも貴公を尊敬していると言ったはずだが」
「かつての、だろ?」
「では、今の貴公も間違いなく尊敬に値するとだけ告げておこう――だが、一つだけ、訂正を求めておく」
「――言ってみな」
「某は、任務ならば人も殺せる人間である――決して、情や敬意故に貴公を殺せなかったわけでは、無い」
「言いたいことは解るがな――それは、誇るなよ」
それは誇るべきことではなく。
むしろ恥ずべきことなのだから。
最後の矜持を喪えば――我々は贖罪者ですらない。
「――そうであった、な」
――さて。あまり話を続けるわけにもいかない。
「――じゃあな。俺は行く」
「ああ……またいずれ、お目にかかろう」
――そして、匠はもはや彼を顧みることなく前に進む。
走りながら、ふと思う。殺そうと、殺さないで済まそうと、人を傷付ける行為にどれほどの違いがあるだろう?
どちらも同じく、恥ずべき行為であることに変わりはない――しかし今の匠には立ち止まって罪を顧みる暇はない。
霧――いや、恐らく人為的な雲が闇と同化して視界を遮るその場所に急ぐ。
……介添人の仕事、ステアウェイのルール。
先日読んだ面倒臭い説明がいくつか脳裏に浮かぶ。
聖別者同士の戦いに、介添人の出る幕は――恐らく無い。
だが、もし弥生が倒れていたら。死にそうだったら。
「……直接相手の聖別者に手出ししてはならない、だったか?」
――知るか。
「あいにく、記憶力には自信がないんでな」
状態は悪い。脇腹と左腕を刃が掠めていた。
銃弾に塗りたくった血は脇腹から流れ出してきたものだ。その他細かい擦過傷も無数にある。
ASDの残効も既に心もとない――だが、それが何だと言うのか?
匠は走る。闇に浮かぶ雲の下を目指して。
――そこで、弥生が戦っているのだから。
 
「出し惜しみはしないよ――骨まで洗いて隷下に臥せ!」
レインが自らの能力のかたちを造り上げていく。ヘッドホンから流れるのは三連のスラッシュ・ビートに変わっていた。刻む爆音に乗せて彼は式を歌い上げる。
「Wash her sins away,Acidrain break her rules and pride」
その進行に伴い上空の「雨降らす者(プルヴィウス)」が渦を巻き活性化した。
硫酸の雨が密度と速度を増し、弥生に降り注ぐ。
雨は不思議なことに全てレインを避けている。――いや、その不思議こそ「能力」故なのか。
「……and Justice for all,Wash My Sins Away!!」
颶風と一体となり弥生を叩き、焼かんとする酸の驟雨。
レインは一瞬たりとも雨を途切れさせない。
「ぼくにはけして近づけない!さっさと降参したらどうだよ?」
降伏を勧める一方で、レインは正直なところ舌を巻いていた。
確かに自分もまだ全力ではないが、彼女は降りしきる酸の雨を未だことごとく弾いている。
とは言え、わずかな火傷の他に目立った外傷は無いもののレインには近づけていない。
彼女が踏み込めばレインはかわす。
様々な体捌きで彼の意表をつこうとするが、雨を弾くのにも集中がいるせいか、今のところはレインが先んじてかわしつづけている。だが、弥生は一向に退かず諦めず、あくまで間合いを詰めようとしていた。
レインは苛々しながらも彼女の考えを読もうとする。
――この状況、どう打開するつもりだよ、功夫使い?
その彼女が突然、立ち止まった。釣られてレインも止まる。無論、距離は保ったままだ。
彼女はゆっくりと宣言する。何かを心に決めたように。
「わたしは状況に応じて、匠さんの生命を優先します」
――何を言っているのか。疲労でおかしくなったか?とレインは疑問を抱く。
「だからこそわたしは、ここに居るのです」
だが――彼を見つめる彼女の瞳は揺れていない。
この少女に――迷いはない。
そして彼女は続け唱える。言葉に酔う事も、現実に臆することもなく。
士針(ギデオン)基底聖句第三章第五節。
「真認せん(AMEN)――己は拳。神の下ならず人の元に在る者。神己を顧みる事無し」
何かが、レインの横を掠めた。
「然れども己は猶全て受容す。故に罪を負い罪を砕く」
弾丸?先ほど動きを封じる為に撃った機関銃弾か。外れたのだと思っていたが。
「故に謂う。神は己が拳に握る命に在り。故に己は揮う」
 そうか。瞬間に質量と運動エネルギーをゼロに出来るのならば、弾くだけでなく手元に保持
することも出来る道理。――ならばこちらに向けた状態でそれを解除すれば?
「神は――」
 理解がようやく反応に結びついたとき、弥生はレインの身体に向け、目の前の空間に拳を撃
ち放った。
「砕く」
 質量復帰。同時に、数十個の弾丸が一斉に手の中から打ち出された。
「うわっと!」
危うく躱す。塊状に放たれたのが幸いだった。扇型にばら撒かれていたら何発かは喰らっていたろう。
思わずレインはひゅう、と感嘆の息を漏らす。
一方、弥生の顔にはやや失望の色が見えた――レインは思う。飛び道具をあえて使ってくるとは誇りを棄てたか?
いや……違う。この子の誇りは、そんなに安くない。
「……よく、交わすのです」
息が乱れているのが判る。「保持」に精神を傾注していたせいがもしれない。
今、この子は「状況に応じた」からこそ僕を殺すつもりになったんだよな、とレインは思う。
――ふん、お互いやっぱり心のタガが外れてきてるのか?
殺したり殺されたりするための力を遠慮なく行使できるというのは。
多分そうなんだろうと彼は自嘲する。どっちがよりおかしくなっているのか、自分では判定のしようもなかった。
「――モヤシだと思ってた?」
とりあえず反応を見ることにする。予想よりタフなのは間違いないが、いくらなんでもそろそろ疲れてくるはずだ。
手段を選ばなくなった証が先の攻撃なら、終わりは近い。
「少し」
返事は短い。それでも気力にはまだ衰えはないようだ。
「それなりには鍛えたんだよ。君ほどじゃないけどね」
正直な感想だった。最初の戦略では、酸の雨で体力を削りすぐにでも動けなくするはずだった。だのにここまで逃げ回らねばならなかったと言う時点で大誤算である。
例えこうした展開になっても先に彼女の体力が尽きると見ていたのだが、能力が速やかな勝利を阻んでいる。
――その能力は、あえて分析するならば「無慣性化」そして「質量制御」の二つに類別できよう。
恐らくは物体の運動エネルギーと位置エネルギーを瞬時に減衰し、望む時に復帰できる力。
そして恐らくは、その際に位置エネルギーを運動エネルギーに振り分ける――入れ替えることも可能。
上手く使えば飛翔体や落下物の位置エネルギーをいじり、運動エネルギーのベクトルを変えてやることすら可能だろう。
ゆえに見かけ上は物体を弾くのも捌くのも、今のように保持するのも自在。
考えてみれば、身体の微細な動きのみで見かけ上の質量が零になった物体に新たな「方向」を与えることは可能。
そして何より、それほど軽くされた物体ならば、運動によって生じる風だけでも吹き散らされてしまうだろう。
故に酸の雨が致命傷を与えられぬのも道理。そのしばしば重力を無視するかのような身のこなしも、体各部分の運動エネルギーを意識的に変動させられるとすれば――可能。
その能力と格闘術が結びつけば、当然接近戦では脅威。
先ほどから垣間見せる独特の体捌きも、おそらくはその一環なのだろうと考えられた。
「禹歩(うほ)――中国拳法の動きだろう、それ。相当の功夫を積んだのかい」
「先生のアレンジが入っていますけど。まだ始めて二年ですが」
跛行(はこう)にも酩酊者の動きにも似た、非対称ながら滑らかな体捌き。しかもそれでいて、迅い。
レイン程度の体術では格闘に付き合えば反撃も出来ぬまま肋骨を折られるだろう。接近戦を避けたのはやはり正解のようだった。
しかし、カルテによれば、走ることもままならないはずの足でこれほどの俊敏な動きが出来るのは何故か。いや、未だ立ち続けることが出来るのは?
「二年でそのひねくれた足捌きかい。いや、そもそも何故まだ立っていられるんだ?それも聖遺物のおかげ?」
――彼女が持つ聖遺物は、恐らく「聖ニコラスの鈴」。
聖誕祭の夜空を駆けるとされる聖者の遺物なれば、重力を支配しても不思議はないかもしれない。
しかし弥生は首を振った。
「違います」
否定の口調は強くはないが淀みもない。
「確かにわたしの身体には聖者の鈴が仮胎されているそうです」
自分の眼で確かめたことはありませんけど、とそっと笑う。ならば違うとはどういう意味か。
「わたしは、無力だったとき」
弥生は一度、息をつく。
「匠さんや義父さん、義母さん、院の友達。沢山の人たちに支えられました。みんなのおかげで、今自分の足で立っているのです」
そう言って、もう一度正面からレインを見た。
「ですから。支えてくれた人のためにも――わたしは倒れません」
きっぱりと宣言する。能力のことは、一言も触れようとしなかった。
それがあろうが無かろうが関係ないのだと。そう言いたいのだとレインは了解した。
――この子は、折れない。拳がたとえ届かなくても、最期まで諦めずに何かしてくるだろう。
先程のように。ただ勝つためでなく、支えてくれた人のために勝つために。
「立てるのは気持ちの問題、ね……」
ならばどうすべきか。冷静に状況を分析する。
いずれ弥生の体力は尽きる。レインとしては隙さえ見せなければ良い。
だが、長引けばそれだけイレギュラー要素も増える。介添人はネヘミヤの神父が足止めしている筈だが、もし来てしまえば状況は一変する。ならば。
「――君を支えるものが何だろうと」
速やかに、勝利を確実なものとする。それが最良と結論した。
「僕が負ける理由には、ならないね」
彼、レインにもまた折れることを拒絶する心がある。
弥生の心が折れぬなら――そう、躊躇い無く相手の足を折ろう。
あるいは――命を。

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