創作「いつでも君は、僕より優しい。(5)」

ChapterⅤ

2.Virtus

 ――定刻に、「真珠」の二人は美術館のロビーに現れた。
「久しぶりですね、周」
 僕が見たリゼル・バルシュカは四年前とほとんど変わっていない。
 修道服でないときのシンプルな灰色のスーツ。
 一方、彼女の一歩後ろでおずおずと僕に向きあっている少女は全くの初見。
 樹より幼く見える、無機質な金属製の眼鏡をかけた少女。
 肌色を見る限りは白人と東洋系のハーフのようだが、眼鏡の奥の瞼は閉じられ、瞳の色までは伺う事は出来ない。
 杖をついているところを見ると、恐らく盲目なのだろうが――
「彼女は?」
「ミュサ、挨拶なさい」
 ぺこりぺこり、と続けて二度頭を下げる。
 挙動の落ち着かない子だなあ、と思った。
「みゅ――ミュサ・アナマリア・常葉です。よっ……よろしくお願いしますっ……」
「かなことめがねつながりですねー?」
 と樹はいつもの通りお花畑。
「私のはただのサングラスだが……ふん、この子が『天の娘(ミケランジェラ)』か、シスター・リゼル」
「その通りです。教皇の信任厚い彼女を、あまり怖がらせないで欲しいですね――件神無子さん」
「市警に捕まらずによく来たものだ。彼らの無能さに感謝するといい」
「――私たちも、多少目鼻は利きますので」
 あー、何かこの二人、初対面からぴりぴりしてるな。何でだろ。
「ミケランジェラ、ですか。確かに、わたくしをそう呼ぶ方も、いらっしゃいます……けど」
 肴にされた格好の少女はぼつぼつと言葉を句切りながら、おずおずと喋る。
 あれだ。たぶん、周りがささくれ立っていると気になって仕方ないタイプ。
 優しい子なのだろう。樹に見習わせたいくらいだけど――無理か。
「とりあえず、立ち話もなんですし――カフェにでも行きませんか」
 と、これは僕。
 知人同士が噛み付き合う光景は見ていて気持ちいいものでもないし。
 何が原因なのかわからないけど。
「そちらは戦闘員を連れてきていないようだが――余裕か?」
 神無子さんが周辺を事前に調べた結果、潜んでいる連中は居なかった。
 最も、周が知る限り――リゼル・バルシュカただ一人でも充分以上に危険、ではあるのだけど
 それに、この少女とて「真珠」に選ばれる以上、全くの無力ということはないだろうし。
「無防備な女性二人をいきなり殺戮するのが特計のモラルですか? そんなことはないでしょう」
 仮にも公務員ですしね――そう言って、シスターはわずかに笑った。
「しっ……信頼してます、から……」
 ミュサが顔をあげて、相変わらずぼつぼつと喋る。
 外見に似合わず楽天的な性格らしい。
 ――彼女の立場で僕たちを信頼するのは、どうかと思うけど。
 席に案内される五人。
「周、この場所では私は援護できんぞ」
「んー……また外を張っててくれればいいですよ」
 今は居ないとしても、増援がやってこないとは限らないし。
「解った。話は任せる」
 ウエイトレスに自分の席はいらないと告げて、神無子は踵を返そうとする。
「あなたとも話し合いが必要と思ったのですが――」
 その背中をリゼルの声が打った。
「側にいなくていいのかしら。二人のお守り役なのでしょう?――狩人(エウスターキス)」
「私を教会の目線で名付けるな、シスター・カタスタシア。あんたも今ここでそう呼ばれたくはあるまい?」
「…………」
「――それに、その二人は子守が必要な年でもない」
 何かあったら呼べ、と言い残して、神無子さんは早足で去った。
 彼女には悪いけれど、ちょっとほっとする。
 シスター・リゼルと会うのは久しぶりだし――まあ、話の最初からぴりぴりしているのも良くないし。
「では――改めて、こんにちは。お久しぶりね、周」
「ええ――樹は何飲む?」
「かるぴすー!」
「じゃあ、僕はホットコーヒーとマドレーヌを」
「……じゃあ、わたくしはオレンジジュースとレアチーズケーキをお願いします」
「ちょ……ちょっと、ケーキまで頼むの? しかもミュサまで」
 動揺するシスターを尻目に注文を終える僕ら。
「ああ、すいません、どうぞシスター・リゼルも選んでください」
「あなたたちは緊張感というものが――」
 ちょいちょい、と隣の少女がリゼルの袖を引く。
「え……選びましょう、シスター・リゼル。わたくしたちも、急ぐ必要はないのですから」
 少女を一瞥してから――シスターは溜息をついて、仕方がありませんね、と頷いた。
「……そうですね。まず私が落ち着くべきでした」
 ややあってそれぞれの前に並べられた飲み物。
 レモンティーをすすりながら、シスターは僕に切り出す。
「SSUの舞旗から、既に聞いている話かもしれないのですが」
 一呼吸おいてから――続ける。
「イツキを、聖霊として教会に迎えたいのです」
 教会が把握しているだけで、彼女のような存在は六例目だという。
 そして過去に顕われたいずれもが、現在は教会の保護下にある――そう彼女は言う。
「彼女らは、在るべきところで暮らすべきだと――そう思いませんか、アマネ」
「樹の意志が第一ですね」
 ばっさりと僕。
「んー、樹は周と一緒がいいのです」
 ばっさりと本人。
 しかしシスターも怯まない。
「そうね。では周君が一緒にくればどうでしょうか?」
「それならいいかなー?」
 あっさり本人陥落。
 ……単純すぎるなこの子は。
「彼女はこう言っているけれど、あなたにとってはいい話ではないのかしらね」
 シスター・リゼルはしれっと言う。
「状況を単純化しすぎじゃないですかね」
「そ……そうでしょうか? この地に繋がれているよりは、よっぽど幸せだと思わないですか?」
 と、これはミュサ。何かを確信した微笑みを浮かべつつ。
 それは神様の慈愛への確信なのか、愛されている自分への確信なのか――いや、その両方か。
 ――繋がれている、ね。
 確かに。
「イツキを手元においておきたいのはあなたの――あなたたちのエゴにすぎないのではないかしら。我々と来れば、彼女は誰かと戦う必要もないのよ」
 リゼルもミュサの善意を後押しする言葉を続ける。
 彼女らの微笑みに、少なくともあからさまな嘘や嘲弄はない。
 ミュサは教会の善意に確信を抱いていて。
 リゼルもまた持てる知識の範囲であれ、少なくとも樹の幸福を信じてはいるのだろう。
「それでも――」
「あの……それはともかく、どうでしょうか、アマネさん」
 ミュサが突然話題を変えた。
「お近づきのしるしに――わたくしにあなたたちの絵を描かせていただけませんか」
「……絵?」
「あなたたちのポートレートを、ね。ミュサは絵を描くのが得意なのよ」
 ……その眼で?
 いつのまにか、彼女の手元には小さなスケッチブックがあった。
「あの……その前に、一つお願いがあるのですが」
「――何か?」
「か――かおをさわらせてください」
 何やら急にぎごちない。
「僕の――顔?」
「は……はいっ!」
「――いいけど」
 まあ、別に。
 減るもんじゃないし。
「で――では、失礼しますっ!」
 それとも減るのだろうか。面の皮とか。
 ぺたぺたぺた。
 …………何か。
 さわさわさわ。
 彼女の細く柔らかい指がくすぐったい。
「……こっ……これはっ……」
 何に感動しているのだろう。
 ぺたぺたぺたぺたぺたぺたっ。
 そして、何故さわる度に顔を赤くするのだ。
「はあああああああっ……ふぅ……」
 何か、僕も恥ずかしくなってきた……
 あたたかくて、やわらかくて、優しい――女の子の、手のひら。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
 誤解を避けるために言っておくと、これは僕の呼吸ではない。
 吐息が僕の鼻をくすぐりそうになる。
 ――花のような、優しい匂いがした。
 さわさわさわさわっ。ぐにっ。くにっ。ぷちっ。
 ……いや、それはそれでいいとしても。
 いつまで続くんだ、これ。
「……まだ、さわる?」
「い――いえいえいえっ!もう大丈夫です!」
「……はぁ」
 名残惜しそうに、ミュサは僕の顔から掌を離す。
 顔が真っ赤になっていた。
 何故に興奮しているのかこの子は。
「ああ……すみません……同年代の男の子に触れるのは久しぶりなので……」
 ……箱入りなんだなあ。
 いや、違うか?
「……準備OKです」
 ややあって気をとり直したのか、スケッチブックを手にとる彼女。
 右手に持っているのは――どう見ても普通のサインペン。
 それで、もう迷いなく。
 もの凄い勢いで筆が走り出した。
「……接触によって、造形を記憶する能力?」
「それだけではないですけど」
 にこやかにミュサは答えつつ――ペンを動かす。
 それは既に何が完成するかを知っている手の動き。
「人はわたくしの力を――大天使の手(ミケランジェラ)と呼びます。視覚以外のすべての感覚が自分にもたらされた恩寵です」
 そう誇らしげに告げて――確信とともに描き続ける。
 視覚以外、全て――となると。
「……その眼鏡は」
「伊達ですが、エコロケーションの補助機器を兼ねています。これが鳴らした音をわたくしの耳は分析し、空間を把握します」
 ずっと舌を鳴らしているのも疲れますから、とミュサはこともなげに言った。なるほど。
 系統としては梟の能力に似ているけど――あいつは視覚に偏ってるから等級としては同レベルなのかな、と僕は想像してみる。
 しかし――それだけか? 
 仮にも聖女と呼ばれるほどの異能が、単なる空間把握能力に留まるとは思えない。
 例えば触れた相手の思考を読む、とか――だとするとしくじったのだろうか。
 まあ、読まれて困るような知識はそんなに……いや、あるか。
「安心なさい。ミュサの能力ではあなたの思考までは読み取れないわ」
 そんなぼくの思考を読んだかのようにシスターが解説する。
 ……能力無くても読まれてるし。
「……そうなのか?」
 しゃかしゃかしゃかしゃか。
 その間も、ミュサの手は忙しく、迷いなくスケッチブックの上を動く。
「ええ、思考そのものは読めません……が」
 そう呟いてから、ミュサはゆっくりペンを置く。
 正面に向き直り、それからじっと眼鏡の奥にかすかに見える焦点を結ばぬ眼で、僕と――僕の隣を見つめる。
 ややあって、こくり、と頷いた。
「……やはり、そうなのですね」
「……ミュサ?」
 顔色が青い。
「わたくしはアマネさん。あなたが嫌いです」
 ――そりゃ、どうも。
「ですが――それでもあなたの魂にいつか安らぎが訪れるよう、祈りたいと思います」
「…………」
 祈り、ね。しかし――この反応からすると。
「……ミュサ、一つだけ、いいかい」
「な……なんですか?」
「きみには――樹がどう見えている?」
「そう、です、ね……私が見たのは、私と同年代の女の子……です」
 ……なるほど。
「――そう言ってくれて、感謝するよ」
「……どういたしまして」
 僕はその言葉にはもう返事をしなかった。
「ミュサ? 何を言って……」
「……先生。今日は帰りましょう」
 シスター・リゼルの戸惑いを無視して、ミュサは言う。
「アマネさんにもイツキさんにも、考える時間が必要だと思うんです」
 晴れ晴れとした明るい声で――最も、僕にはその明るさは無理に作ったものに聞こえた。
「……そう。解ったわ。あなたがそういうなら、そうなのでしょうね」
 ミュサはスケッチを切り取って、僕に渡す。
「これは、お礼です」
 描かれていたのは、周の肖像画だった。
「……上手い」
 良く似ている……と思う。ちょっとふてくされた感じとか。
 エコロケーションと手の感触だけで描いたのだとすれば、大したものだと思う。
 ――が、これは異能というよりは技術のような気がする。
 僕はこれを描かれて喜ぶべきなのだろうか。それとも描かせるべきではなかったのか。
 何かはめられたような――不思議な感覚とともに受け取った。
「あんまり嬉しそうに見えないです」
「いえ、嬉しいですよ――ありがとう」 
 礼儀上そう言わないわけにもいくまい。
 けれどその言葉で彼女は花が咲いたように笑った。
 その笑顔は、とても優しくて魅力的で――僕はちょっとだけ胸が痛む。
 楽天的……いや、本当に性格のいい子、なのかもしれない。
「それでは、私たちは行くわ。会計はすませておくから、ごゆっくりどうぞ」 
「……ありがとう」
 とりあえずそれだけで舞旗より好感度アップですね。
 「ありがとなのです。周、かるぴすもう一杯よいですか?」
「……ああ、いいよ、樹」
 この子には遠慮というものをどうにかして教える必要がある、と僕はいつも思う。

 さておき。
 このときの僕は。
 ――考えは読めないけれど。
 それ以外のことは出来るかもしれない、とか。
 そこまで考えが及ばなかったわけで。
 
 神無子さんと合流して本部に寄り、報告を終えたころには日が傾きかけていた。
 二人を置いて、先に僕は寮に戻る。
 特計本部の近く、古びた住宅街の中にひっそり立つ鉄筋三階建てのアパート。
 十五部屋あるが、埋まっているのはその半分程度だ。
 人口が減少の一途を辿る現在、こうした不動産は珍しく無い。
 ちなみに、この建物は住人のほとんどが特計関係者。
 三階に至っては全員が正職員だった。
 若い連中は階段を使え、とのお達しから、この階に住んでいるのは実務担当者が多い。
 樹は神無子さんと一緒に三階の左端に、僕はその隣に住んでいる。
 最も、樹は本部で調整されている時間が長いので、こちらにはたまにしか帰ってこない。
 二人とも部屋の整頓には無頓着なため、いつ覗いても間違いなく酷いことになっていた。
 なお、僕の右隣は首計課の若い女……の筈なのだが、出張がやたら多いらしく出入りを一度も見たことが無い。
 たまに帰ってきたかと思うと呪文みたいな音が夜中に聞こえてくるので、正直居ないほうが気楽だったけど。
 さて、そのさらに隣、階段の側にある部屋から扉を半開きにして自分を見つめる影。
「何だよ、梟」
「……疲れてるね」
「……そうだな。いろいろあったから」
 彼は処務課の同僚。皆にはただ「梟」と呼ばれている。
 本名は知らない。その異能が持つ索敵能力を買われて、主として課長と行動することが多かった。
「梟は?」
「今日は非番」
「なにしてた?」
「人間観察。今も継続中」
「僕を観察しても面白くないと思うよ」
「……今日は、そうでもない」
「――え?」
「上手くいえないけど……いつもと違う」
「どう違うんだよ」
「一言じゃ言えないけど――陰がある」
 陰ね。暗く見えるってことか。
「……自分じゃわからないな」
「それだけ」
「二人は?」
「今日は本部で樹の検診」
「……あそ」
 パタリ、と扉が閉まる。
 毎度のことながらコミュニケーションに断絶を感じるが――おそらくそれはお互い様なのだろう。
「……陰、ね」
 どうだろう。
 シスター・リゼルたちの提案について、考えていたせいだろうか?
 陰鬱になる提案――だろうか。そうかもしれない。
 僕は近郊の教育機関に在籍している。任務の無い日は登校が義務付けられていたが、最近は結構おろそかになっていた。 
 そもそも理力研で基礎教育を終えた人間にとって通常の教育機関で勉強する必要は皆無なのだが、一応世間体やらカモフラージュというものがある、ということで。
 最も、流石に樹は行っていない。神無子さんも大学に在籍はしていたが、殆ど顔は出していないはずだった。
 周は学校では家庭の事情で不登校を繰り返す問題児、と言う扱いだが――そもそも、在籍している学園自体が自由な校風をうたっており、それに応じてフリーダムな生徒が集まっていることもあり、そう目立つ存在でもない。
 クラスメイトには始業式と終業式以外では見たことが無いという強者もいた。
 案外彼らも自分と似た境遇なのかもしれない、けれど。
 因みに梟はほぼ完全な引きこもりだ。任務がなければ本部にすら顔を出すまい。
 最低限の家具と机に情報端末、そして書棚――僕の部屋。
 この辺の生活レベルは「残存戦争」以前の高校生とそう変わっていないと思う。
 中身は時代に応じてそれなりに進化しているけれど、やることはいつだって似たようなものだ。
 私服に着替えて、ベッドに寝転がる。
 普段ならそのまま仮眠に落ちてしまいそうな状況だったけれど。
 今日は、なんとなく。
 ――じっとしていられない気分、だった。
 体は疲労しているのに、眼だけが冴えている――そんな感覚。
 妙な胸騒ぎと動悸。棘の丸まった苛々。磨り減った感情。
 ぼんやりした頭痛の連なりが、思考力を減退させている。
 何をするでもなく、部屋の中をうろうろしてみたりして。
 眠るでもなく、何かをするでもない――無為。
 その無為に耐えられなくなって。
 ――気がつくと、駅前の古びた歩道橋の上にいた。

 夕陽がビルの影にそろそろ隠れそうな、そんな時間帯に来るのは久しぶりかもしれない。
 欄干はところどころ錆が浮いて、補修もままならない状態。
 基本構造は何とか持ちこたえているものの、いつ使用禁止になってもおかしくないレベルだ。
 かといって、それで困るような人もそういないのだろうけど。
 車が断続的に流れる道路を見下ろす。
 比較的交通量の多い地域とは言え、夕刻でもラッシュには程遠い。
 それもかつてとは違う風景なのだろうけど、周には解らない。
 生まれたときから世界は既に今のようで。
 特計にきたときから街は既に今のようで。
 戦争前に生きていた人にとっては寂れたこの風景も、見慣れたものでしかない。

 ――なんとなく。
 このまま飛び降りてみようか、と思ったりして――

 ――腕を掴まれた。

「どしたの、周」
 梟が、訝しげな眼で僕を見ていた。
 僕は瞬きして彼を見返す。
 何で、こんなとこに彼が――いや。
 何で、僕はこんなところに居るのだろう。
「――僕、何しようとしてた?」
「今にも飛び降りそうな顔してた」
 別に心配してついてきたわけじゃないけど、と梟は眼を逸らして呟く。
「……ホントにやりたいなら、止めないけどさ?」
「――いや、今はやりたくないな」
「……何があったか知らないけど、しっかりしてよ、周」
 ちょっと驚く。
「……梟に励まされるとは思わなかったな」
「ボクより惨めに見えるんだもの」
「――そりゃ、重症だね」
「そゆこと」
 悪びれもせず梟は頷く。
 ――本質的には、いい奴なのだ。
 病的な人見知りが無ければ。
「――神無子さん呼ぼうか? それとも安西さんのほうがいい?」
 安西さんは特計のメディカルケア担当だ。
 普段は本部の医局で樹の調整や担ぎこまれた負傷者の応急処置、または訓練で死にそうになった連中に活を入れたり薬を挿れたりする仕事をしている。
 とは言え、この程度の――ことで。
「いや……明日、学校終わったら医局に寄ってみるよ」
「ふうん……じゃ、ボクは帰るから」
「――梟」
「なに?」
「さんきゅ」
「…………」
 無言で、梟は走り去った。
 外の光を浴びることが許せないかのような勢いだった。
 照れてるのかな?
「いい友達を持っていますね――アマネさん」
 反対側から、少女の声と――杖の音。
 いや、予想は何となくしていたけれど。
「――きみは」 
 ミュサ・アナマリア・常葉――「天の娘(ミケランジェラ)」。
「駄目ですよ? 明日、学校に行くんですよね」
 わたくしとここでやりあったら、行けませんよ――そう彼女は微笑む。
「ハッタリだね。きみの能力は戦闘向きじゃない」
「あら――なら、わたくしの能力ってなんでしょうか?」
「――これが、そうだ。そうだろう?」
 この感情が。この不安が。この憂鬱が。
「――ええ。ちょっと薬が効きすぎたみたいですね。ごめんなさい」
 ぺこり、と頭を下げる。
 ……やりづらいなあ。
 慇懃無礼、というより純真に無礼な感じ。
 昼間会った時より、自信に満ち溢れているように見えるのは錯覚だろうか。
 僕の感情がコントロールされているから――いや、違うな。
 梟と同じく、彼女も人見知りする性質なのだろう。
 反面、身内や知人には強い態度に出られるタイプ。
 困った子だ。人の事は言えないけど。
「――あの絵を使って?」
「絵というよりむしろ――描くことによって、でしょうか。あとは触媒があれば。清潔にされてる方でも、抜け毛の一本くらいはあるものですし」
「顔に触れたとき、ですか」
「そんな感じです」
 しかし、描いた絵は僕がもらったはずだけど。
「スケッチブック、便利ですよね――」
「……筆圧、ですか」
 元絵をぼくに渡しても、憑依となる写しは残る。
「再びご明察、です。あなたがお持ちの絵を焼き捨てても、触媒と写しがわたくしの元にある限りは効果を発揮します」
「で、どこの毛? 縮れてなかった?」
「触ったときに髪の毛を。真っ直ぐで綺麗な髪ですね……興奮しました」
 えっへん、と彼女は薄い胸を張る。
 えっへんじゃねえ。自慢するな。
 セクハラのつもりで聞いたのに意味ねえ。
「……特に何も感じなかったけど」
「抜け毛、多いですよ? その年で心労が多いのかと心配になります」
「まだ禿げる心配はしてないよ」
「そうですか。あと十年もしたら気をつけたほうが良いと思いますよ」
 ふふっ――とミュサは笑う。
「最も、わたくしの手元にあるスケッチを描き換えれば、アマネさんは明後日くらいにはハゲです」
「嫌な能力だな!」
 あのおどおどした仕草は擬態――いや、どちらも素なのか。
 自分の能力に対する自信があるときと、無いときと。
 対象の絵を描いてから、対象の身体の一部を触媒とすることで絵と対象を繋ぐ。
 後は絵を改変することで、対象の本体に影響を及ぼす――と、いった所か。
「効果は漸進的ですが、確実です」
「絵をどう弄って、僕の心をどん底にしたのかな」
「効果線とか涙を書き込むとか、まあそんなものですけど」
 こともなげな口調。漫画家になればいいのに、とかちょっと思った。
「既に其処に在るものをありのままに、更なる高みへ――それが『ミケランジェラ』、わたくしの手に与えられた恩寵です」
 だから、アマネさんが鬱な気分になったとすれば、それはわたくしのせいだけじゃないと思います――そう彼女は悪びれずに言った。
「――どうだろうね」
 憂鬱の高みになんて、登りたくもないけれど。
「君の自慢は聞いたし、もう帰って良いかな? 樹が退屈してるだろうから」
「彼女は職場でメンテ中、ですか? 一緒に居ないとつまらないですか、アマネさん」
「――そうかもね」 
「あなたたちは二人……いや、バックアップの神無子さんを含め、三人で一つのチームを構成すると聞きました。そして、その頭脳はあなた」
「だとしたら?」
「あなたが、イツキに……彼女に処務課として殺人を犯させている。そうわたくしは受け取ります」
「……だとしたら?」
「……否定しないのですね」
「特にきみの意見を修正する必要は感じないな」
「ならば、答えはわかりきっているでしょう。イツキが真にあなたにとって大事なら、特計をやめさせるべきです」
 僕が望むなら、エイレナイオスに席を用意することだって出来る――そう彼女は言うけれど。
「それは嘘だね」
 自ら手を汚す者達の希望がどうあれ、教会が天使の側に、血に汚れた魂を置くはずがない。
「疑うのも無理はありませんが、ミケランジェラの名を頂くわたくしが主張すれば、表だって反論出来る人は教会におりません」
 それはどうだろうか。
 聖女とはいえ、所詮は一人の少女にすぎないし――それに。
「きみに迷惑をかけたくないね。僕も樹も、人に借りをつくって生きてる人間だ」
 これ以上、返せもしない借りを増やしたくはない。
「普通に、彼女のことを人間と呼ぶのですね――あなたは」
「……きみには何に見えたんだ?」
 ミュサがあの時、嘘をついたことに僕は気づいていた。
 けれど、それは別に聞きたくない話だったし。
 彼女も、あの時はそのまま流した。
 けれど今――彼女は。

「――ただの、水の塊ですよ。人のかたちをした海月(くらげ)――あなたが大事に想う聖霊とは、そんなものです」

 所詮、人間ではありません。
 ひとと同列に扱ってよいものでは、ありません。
 そう言うだろうとは、思っていた。
 けれど。だからこそ。
 僕はそれに返答の必要を認めない。
「……まあ、いいでしょう。アマネさん、お返事を聞かせて下さい」
 とは言え。
 もう会話を終わらせる頃合ではあるだろう。
「ああいう感情を、味合わせてくれたことには感謝するよ。久しぶりだったから」
「それはどうも、というべきなのでしょうか――で、結論は出ました?」
「お帰り下さい」
「……イツキにも、シスター・リゼルにもあなたがずたずたにされる姿を見せたくはないです。一緒に来た人たちは、わたくしたちほど優しくないですよ」
 あなたが簡単にボロ雑巾になるとも思えないですけど、とミュサは溜息をつく。
 その顔を見ていて。
 ちょっと悪戯をしてやりたくなった。
「……せっかくだから、一つ、たとえ話をしようか」
「……何でしょうか?」
「殺人より重い罪があるとしたら、それはなんだと思う?」
「…………?」
「殺人より重い罪は、殺人しかないんだよ、ミュサ」
 あとは質量の問題でしかない。
 だから。
「人殺しを殺すのは、同じ人殺しでなきゃいけない」
 人殺しの数を増やさないためには。
 だから。
 どこかにそれは吹き黙る。
「それは、どういう――」
 だから。
 僕はそっと彼女に近づいて。
「――こういうこと」
 エコロケーションも間に合わない速度で。 
 さっくりと、キスをした。
 舌も一瞬だけ差し込んで、前歯をちょろん、と舐めてあげた。
 うん、変態チックだな僕。
 ……………………。
 固まる彼女。
 一瞬、何をされたのか把握できなかったらしい。
 あるいは、眼が見えれば避けられたのかもしれないけど。
 これに関しては、まあ、奪える自信が僕にはあった。
 何故かって――
「ちゅちゅちゅちゅうううううううううううううううしたーっ!キスされたーっ!」
 ……いや、そんなに驚かなくても。
「し、し、しかも、ししししし舌をーっ!?」
「……ひょっとして、初めて? 舌」
「あああああああたりまえです!」
「きみの絵のせいで精神が不安定になったのでついやってしまいました」
 まあ、責任をとってもらったということで。
 表向きは。
「嘘つくなーーーっ!」
「なに、ちょっとした悪戯だから。軽いライフハック、みたいな?」
「嘘です! 完全にわたくしの精神を犯す気でした! ブレインハックより酷いです! うううううううう――わたくしの初めてのキスが……」
 ……キスも初めてだったのですか。
 ちょっとだけ反省。
「……断言します。あなたは、やはりイツキに悪い影響しか与えていないと! イツキのためを思うのなら、あなたは身を引くべきです!」
 私怨を義憤に転化している気がするけど。
 でもまあ、彼女の気が動転しているのは好材料、かな。
 悪い影響を与える人間としては。
「でも、不用心だよね、ミュサは」
「……え?」
 今も、そう。
 もし、僕が彼女を殺すつもりだったら、どうなっていたことやら。
 あるいは人質にするつもりだったら、とか。
「僕がきみを捕まえようとするかもとか、心配してないのかな」
 まあ、その気はないけど。
 そもそも、今は彼女に直接危害を与えたい、という気が起こらない。
 絵を描かれ、弄られた時点で、そのような意志はもう削がれているのかもしれない。
 だから、僕の前にいても安全――なのだろう。彼女の感覚では。
 ……まあ、唇の貞操は別として。
 それでも、馬鹿だ。
 馬鹿みたいに――お人好し。
 僕とは、違う。
「ああ。きみは、本当に――」
「な、何を……?」
 気高くて、素直で、人間らしくて。
 それ故に、汚したくなるほどに。
 地上に叩き墜としたくなるほどに――愛しい。 
 だから、僕は。
 ――今度は手で彼女に触れようとして。

「――そこまでだ、少年」
 ……文字通り、一瞬。
 眼前、ミュサと僕の間の空間に黒衣の巨漢が出現していた。
 立ちはだかる圧迫感。黒曜石を削ったような顔と――その瞳。
 一瞥で悟る――この男は、強い。
「……ブラザー・タイタス!? どうしてここに?」
 ブラザー、ね。成程――「一緒に来た人たち」の一人か。
「君が彼に悪戯を仕掛けたとシスター・リゼルから聞いたので、それがしが警備を引き継いだ」
「そんな……わたくしを尾けたのですか?」
「尾けたのではない――跳んできた、それだけだ」
「――テレポーター、か」
「想像は自由である。コンスタンの指示につき速やかな帰投を願う――ミケランジェラ」
「……わかりました」
 ふう、と息を吐いたミュサは、唇を噛んで僕に向き直る。
 杖を持つ手は震えていた。
 彼女の眼がもし開かれていたなら、きっと僕は睨み付けられていることだろう。
「……アマネさん。お望みでしょうからあの絵は焼却します。でも、その代り、に……二度とわたくしの前に現れないでくださいっ! いいですね!」
 約束ですよ! と彼女は言う。
 いや、約束してどうすんだ。
「……そういうわけにもいかないみたいだけどね」
 まあ、絵を焼却してくれるというのは大歓迎だけど。
 ……焼かれたら僕も火傷したりしないのかなあ。その辺どうなんだろ。
「その程度は許容してくださいっ! わ、わたくしは……あなたに汚されてしまったというのにっ!」
「ミケランジェラの意志はともかく――また会うことにはなるだろう、件周。覚悟しておくがいい」
「……覚悟?」 
 黒曜石の瞳は、僕を見据えて言い放つ。
「失う覚悟、自己を見つめ直す覚悟――そういったものだ」
 そんな言葉を残して、二人は足早に歩き去った。
 ……あれ? 歩き?
「……テレポートして帰ればいいのに」
 不思議だ。二人同時は無理、なのだろうか?
 まあいい。能力予測は他の連中がすればいいこと、だし。
「――失う覚悟、ね」 
 僕は、息をついた後。
 短く、小さな声で――吐き捨てる。
 「――何が、わかるんだ?」

 どうでもいい自己憐憫から、電話の呼び出し音で僕は引き戻される。
 ――ちょっと遅かったかな、神無子さん。
「梟から聞いた。何があった?」
「――神無子さん」
「なんだ」
「――帰ったら、ちゅーしていい?」
「寝言は寝て言え」
 ――いや、やっぱりナイスタイミングかも。
 僕の心、通常モードに復帰。
 
 ――余談。
 晩になって、顔の一部が勝手に火傷を起こした。
 鏡を見ると、ちょうど「変態」という文字になっていた。
 あの子は次に会ったらもっといじってやろう、と僕は思った。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

面白い
かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック