雑記「Every Little Seed~ガンダム00劇場版に関する戯言~」

劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-
http://www.gundam00.net/

 みくしで大雑把な感想は書いたのだけど、ちょっとそれ以外で妄想が湧いてきたのでこっちにも書いてみる。


 (以下ネタバレあり)

 敵としてのELSは人類にとってどういう存在か、とした時。
 わかりあえる、というのは価値観をある程度共有できる、ということだろう。
 で、00は「人類内部ですらまだわかりあえてはいないけれど、イノヴェイターは人類以外ともそれを成し遂げた。だから人類もイノヴェイターに進化してみんなわかりあうべき」的な方向にお話を進める。
 しかし、お話としてはそう言いたいのだとしても、現実には「ELSも結局人間的な思考のものとしてしか描けなかった」というだけのことではなかったろうか。

 ぶっちゃけ、ELSはその圧倒的な物量、戦力、同化戦術、どれをとっても国家社会主義者にとって理想的な覇権国家を体現している。
 誤解を恐れずに現実になぞらえて言えば、連邦とELSの戦力差、メンタリティの差は現代日本と現代中国(ただし思想分裂のない)に相当するといってもよい。尖閣はソレスタルビーイングの居ない文化衝突の前線だ。
 それは価値観の共有を超えた、国家(00においてはそれぞれの種族)としての譲れない一線なのである。
 そういう皮肉な眼で見なおしてみると、最後刹那が彼らと同化して帰還するラストシーンは「洗脳完了!」的なものと写らなくもないわけで。
 勿論制作スタッフにそんな意識はみじんもなかったろうけど。

 オールドタイプな個人としてはそもそも相互理解が平和をもたらす、という00を貫くテーゼ自体に絶望するしかないので、あのオチも上記のように皮肉な見方をせざるを得ないところがある。
 ただの相互理解では逆に「相容れない」ことを再認識するだけだろう、とか。
 ナチとユダヤ人が、イスラエルとパレスチナが相容れないように。
 彼らの憎悪の源は無理解ではなく、互いを理解しすぎていることにあるのだから。
 00においても、理想(あるいはディストピア)として描かれるべきエンドは花でもイノヴェイターへの進化でもなく、むしろELSとの「共生」であったろう――と「血をわけた子供」好きのSF脳としては思うわけだが、そんなオチはおそらく病んだSF脳を持たない健全な観客にはさらなる拒否反応をもたらしただろうから、あれはあれで落としどころとしては良かったのだろう、とは思う。
 (もっとも、花としてそこに在るELSと共生していない、と断じる根拠もないので、あの状態で実は彼らと共存共生しているのかもしれないが、その説明は特に無かったように思う)
 いずれにしてもあそこで願われる「わかりあいたい」は「相手がこちらの状況を理解してくれて、譲歩してくれることを期待する」願望であって、交渉の具は欠けているし描かれることもない。
 具があったとしても、それは全て「全権大使」刹那に委ねられてしまっているので、どう処理されたかすら他の人類にはわからない。
 それは問題が起きるたびに外務省に丸投げして(しかもフリーハンドすら与えない)政争に戻る内閣と似たような無責任さじゃないのかしら、とか。外務省だけで交渉やったほうがずっと効率的だった、としても。
 まあ、この辺は単に尺が足りなかったとか説明不足とかで済ませられる話かもしれない。
 デカルトさん……(しつこい)

 まあ、映画としての出来とはあまり関係のない、そんな戯言。
 こんな妄想をめぐらせるより↓のように馬鹿言ってるほうが楽しいですハレルヤ。
 http://twitter.com/atslave/status/25013231941
 

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