創作「いつでも君は、僕より優しい。(4)」

ChapterⅣ:interlogue

 ――西安の朝。
 雲集する自転車がひたすら流れていたのは昔の話だが、今も活気溢れる街であることには変わりない。
 かつて首都として栄えたこともある中国の古都の一角に存在する――いや、存在した高層ビル。
 現在、その周囲にはロープが張り巡らされ、一般人の立ち入りは禁止されている。
 外側の壁だけをそっくり残し、内側が円筒形にくり貫かれたそのビルは、今にも倒壊する危険が大なため、市上層部の間でどう処置すべきか討論が続いていた。おそらく現場検証の終了次第――数日の間には取り壊しになることだろう。
 警察や作業員がせわしなく動き回るその風景を、通りの向かいに突っ立って眺めている男がいた。
 長身に、季節にはややそぐわない藍色のロングコート――いや、マントか。 
 顔の半分近くが無造作に伸ばされた銀色の髪で覆われた外見は著しく不審だ。
 真っ先に警察に職務質問されそうな姿でありながら、何故か男に注意を払う者は居なかった。
 ――ただ一人を除いて。
 ゆっくり彼に近づくのは、やや浅黒い肌の少年。
 こちらも季節に似合わぬ姿――ただし薄着側、だった。
 白地に赤で「I LOVE YOU」と大書されたTシャツと、丈の短い黒のズボン。
 まだ肌寒い夜を苦にしているようには見えない。
 ひたひたと。痕の残らない足跡を一歩一歩その地に刻みつけるように、静かに歩み寄る。
 そして――5メートルほど距離をおいて立ち止まった少年は、視線を足元に投げたまま話しかけてきた。
「おはよう、おじさん。いや、お兄さんと呼んだ方がいいのかな?」
「やあ。そうですね……君の好きな方でかまいませんよ」
「何を見てるの?」
「いえ――ね。先を越されたかなあ、と思いまして」
「ふうん……何を?」
「……ゴミ掃除、ですかね」
 その返事に、少年は顔を上げた。
 彫りの深い顔立ちと碧い眼は、この国の人間ではないことを示している。
「へえ――掃除、好きなんだ?」
 その笑みは愛嬌溢れる、といっても良いほどの――無垢。
 対する男もまた、一種爽やかと呼べる微笑を浮かべて答える。
「良いオファーをもらったので、ねえ。千歳からそれなりに急いで来たのですが――成程、きみの仕業でしたか」
 微笑んだまま、彼は自らが失業した理由を断定した。
 少年は再びの笑み――但し、今度はむしろ肉食獣の凄絶。
「待っていれば、SSUのエージェントが引っかかるかと思ったんだけどね――別口?」
「内緒です――君は、あのビルに何をしたんです?」
「教えない」
 べー、と舌を出す。その仕草は年齢相応、あるいはそれ以上に幼いが――男は既に理解している。
 この少年は、如何なる肉食獣よりも危険かつ貪欲だと。
「ふふ……気が合いますね――ユダの眷属」
「そうは思わないね、カインの末裔……ああ、思い出したよ、その顔――」
 ――瞬間。
 男が一呼吸する間に、5メートルの間を少年は無としていた。
「おおおおおお?」
 少年が下から撃ち放った右拳をのけぞってかわすと――男はそのまま後ろに一回転して距離を取る。
「イル・モンストロ……ふん、とっくに死んでる筈の化物にしては大した運動神経だね」
「……教会はいつも私をその名で呼びますね。いい加減本名を覚えてもらいたいものです」
「本名なんてないだろ? 人の血を啜る化物、十三番目のコードウェイナー――『無為』。天津軍閥辺りに雇われたんだろうが、遅かったね――無駄足だよ」
「無駄――とも言えませんね。君に会えた」
「……気持ち悪いこと言うなあ、あんた」
 やや脱力したように少年は表情を崩す。
「とは言え、ここは引くとしましょうか――また日本に行く用もあることですし、ね」
「ふうん、奇遇だね……ぼくもこれから向こうへ行くんだ」
「それはそれは。いっそ一緒に行きますか? 相部屋でよければホテル代くらいは持ちますよ」
 にこやかなその口調に何故かぞわり、と少年は悪寒を覚える。
「……ひょっとしてあんた、変態?」
「嫌だなあ。一緒に寝ようなんて言いませんよ」
「……じゃあ何て言うつもり」
「一緒に風呂に」
 ひゅん!
 「何か」が、無為の頬をかすめた。
「うお……何しますか!?」
 真剣に驚いたらしい。妄想に夢中で反応できなかったのだろうか。
 ……それはそれで嫌すぎるなあ、と少年は思った。
「変態は滅びろ」
「危ないなあ……今直撃していたら私でも死んでましたね」
 嘘付け、と少年は思う。
 本来この化物は、こんな攻撃で滅ぼせる相手ではない――それを彼は……いや、「真珠」は良く知っている。
「同性愛者やマイノリティへの差別は良くないですね。狂信者の悪い癖です」
「愛は否定してない。あんたを否定してるんだ」
 確かに、この化物は極めてマイノリティに違いないのだが。
「おやまあ、なんと厳しい言葉――」
 表情を改めて、少年は「無為」に一つ質問をした。
「一つ聞いておく。あんた――いや、お前らは、『二枚貝(クラムクラスタ)』はまだ地上にクレーターを増やしたいのか?」 
 ――それだけは、確認しておく必要がある。少年と、少年の同胞のために。
 対する「無為」はあくまでも軽薄な表情を崩さない。
 微笑んだまま、答えた。
「だとしたら――どうします?」
「――やっぱりお前、今すぐ滅べよ」
 再び、「何か」が少年の身体から放たれる。
 出所も飛んでくる物の正体も判らない――そんな一撃。
 今度はのけぞろうと顔を動かそうと――避けるは不可能。
 しかしその攻撃を「無為」は、あっさりと跳んでかわした。
 少年が眼で追おうとしたその時には既に車道の向かい側、消失したビルの側に立っていた。
 この車道は片側3車線の所謂大通り。距離にして30メートルはありそうなその空間を一瞬にして飛び越えた、その脚力はやはり尋常ではなく――いや、それは果して脚力なのか。
 しかも何故か、少年の耳には「無為」の呟きが聞こえた。
(おやおや即決ですか。短気は損ですよ、『真珠』の少年)
「――化物め。お前らを前に、躊躇などしていられるものか」
 そう、躊躇も遠慮も不要だ。
 何となれば「二枚貝」がエルサレムに――そして世界にもたらした災いを贖うには、彼ら悉くを塵と変えてすら到底足りないのだから。
 彼は呟く。そう――我は聖トマスの真珠。
 そして我々は――彼らをけして許さない。
 我々は自分の目で見、自分の手で触れたものしか信じないが故に。
 故に我々は、自分の目で見、自分の手で触れたあの地獄を――決して忘れない。
(徹頭徹尾ハムラビ式ですか。本当に、トマスの使徒は二千年経っても進歩が無い――)
「進歩など必要ないね――それに、お前こそ二千年間やってきたのは人食いだけだろ?」
 ――無為。人を喰らい、人の血を啜り、ただこの世の快楽のためだけに生き延びる。
 それだけを存在理由とする、無為徒食の化物。そしてそれ故の仇名――イル・モンストロ。
「……そうとも、化物。眼には眼を、歯には歯を、だ」
 少年はそのままの姿勢で今度は――その左手を、無為に向かって突き出した。
「…………?」 
  そして鉄には更なる鉄を。
  血には更なる血を。
  灰には更なる灰を。
  そして剣には――更なる剣を以て。

「――――!?」
 無為はこの時初めて、名状し難い恐怖を覚えた――そして、その瞬間に。
「――汝に主の宣告を」 
 ――ビルが消失した真の理由を、悟った。

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