創作「いつでも君は、僕より優しい。(9)」

ChapterⅨ

 朝7時30分。
「課長、指示を」
 黒い仕事着を身にまとい、僕は課長と最後の打ち合せをしている。
「昨日のうちに停止解除申請はあげたわ。許可が下りればコールするから、戦闘中に吃驚しないことね」
「――感謝します、と言えばいいのかな」
「いらんわ。あたしから言うことは一つだけ――樹を死なせちゃ駄目よ」
「わかってます」
「わかってないわね。あなたも死んじゃ駄目、ってことよ。死ぬつもりなら向こうに渡しなさい」
 周が死ねば、樹も死ぬ。
「それを胸に刻みなさい。血が出るくらいね」
「――涙が出ますね。課長が『僕を』心配してくれるなんて」
「あら、部下の健康を気に掛けるのは上司の勤めよん?」
 いつも通りの口調が、今は有難い。
「備品の整備状況も、ですか」
「スクレップのファームウェアは更新済み。アクセス時の最大使用電力を市内レベルから都市圏レベルに拡大済よ」
 必要に応じて使え、と課長は言った。
「大丈夫だと思いますよ。人を殺すための剣では、樹は殺せません」
「あなたは殺せるでしょうが。もう切るけど、モニタリングは継続してるわ――安心して行ってきなさい」
「――感謝します」
「後でじっくり聞くわ」
 通話終了、と。
 さて――行きますか。
「樹、出るよ」
「はいですー♪」
 僕の背後からは、いつものように彼女の声。
 それだけで、充分だ。

 遠目に僕を見る二人が居た。
 (樹――音を)
「りょーかいなのです」
 樹の能力は、その気になればミュサに近いことも簡単に出来てしまう。
 やり方さえ教えてやれば、音を蒐集し電気信号に変え――再変換することなど、容易い。
 それが故のAI6であり、それが故の――『聖霊』だ。
 会話が、ややあって僕の耳に注ぎ込まれる。
「……来たのね」
「来てますね」
「はううああああっバカですバカが来ましたっ」
 ミュサが杖をかつかつと地面に突く。地団駄を踏みかねない勢いだ。
「ああ、確かに馬鹿ですね」
 本当に二人だけで来るとは――と、リゼルは溜息をついた。
「でも、ミュサはああいう子は嫌いではないのでしょう」
「……わたくしはおバカさんは嫌いです。シスター・リゼル、あなたこそほっとしているのでは」
「思えば、彼は昔から弱っちいくせに誰よりも頑固で聴きわけのない餓鬼でしたね……いいえ、ほっとなどしていませんよ」
 いずれにしても。
 リゼルでも僕の目を見れば、わかる筈で。
 ミュサの能力もそれを裏付ける筈で。
 周には、樹を渡す気など、欠片もないと。
 故に、この場で必要なのは僕を屈服させる力だけだと――気付くだろう。
「では、予定通りに。一時間あれば『左手の剣』も間に合うはずです。それまで持ちこたえてください、『教授』」
「無用の心配だな、シスター・リゼル」
 そして、僕の知らない声が割り込む。
「――私にまかせておきたまえ。彼の心も刃も、このヨアキムが折ろう」
「殺害は樹の確保に悪影響を与えると留意を」
「シスター、君は臨機応変という言葉を知らんかね?」
 
 いいタイミングでコールが鳴った。
「はい――係長ですか」
「お前のライセンス停止はたった今解除された。現時点から処務課としての任務を改めて与える」
「――具体的には?」
「彼等『真珠』の七名は統計を著しく乱すと判断された。見つけ次第排除しろ」
 まさに彼らに会いに行っている自分に対してこの言葉は。
 リゼルだろうとミュサだろうと容赦するな、という無言の命令だ。
「先日、市警の一個小隊が彼らによって壊滅させられたが、その死体が見つかっていない。敵に利用されている可能性がある。気をつけろ」
 数少ない目撃者によれば、死体が車を運転していったのだというが――
 「後、成田で胡桃坂が消えた。旅券は発行されているが、乗った形跡がない。七人と行動を供にしている可能性もあるが、あいつはこちらで確保すべき犯罪者だ。取り戻せ」
「とりあえず了解ですが――どうも、探す必要も取り戻す必要も、無いみたいですね」
「何だと?」
「――胡桃坂さんは」
 ――ここに居る。
「状況は把握しました。統計管理官として処務を執行します」
 携帯を切る。
 ――目の前には、一人の生者と一人の死者。
「こっちが胡桃坂、さんか――貴方は?」
 生者とおぼしき中年の男が、にい、と唇をつり上げた。
「重そうな服だね、アマネ・クダン」
「仕事着ですよ――僕は、貴方の名前を聞いたんですが」
「ふん――私はヨアキム・モールダーという。以後お見知りおきを」
 ――とは言え、君と話すのは今日がおそらく最後だろうがね、と男は笑った。
「何しろ、君は今日で喋る必要も考える必要もなくなるのだから」
 見た目はただの聖職者に見えなくもない。
 状況から見て、彼がシスターが呼ぶところの『教授』なのだろう。
 眼鏡の上、額の良横に刺さる二つの鉄栓――あるいは釘の頭、が無ければの話だが。
 それより何より、良く喋る人だなあ、とまず僕は思った。
「予定の時間にはちょっと早いと思うんだけど」
 現在の時刻は7時50分。
「10分前行動は日本人の基本と聞いたがね。ま、予定はあくまで予定だ――私も早起きしてしまったのでねえ。美しい聖霊へのまずは挨拶というところさ」
 先程の会話を考えるに、少なくともリゼルとミュサにとって彼は戦力の一人という認識だろうが――
「昨日シスターは、まず僕たちの意見を聞きたいと言ってたような気がするんだけど――貴方はその気があまりないようだね」
「無いねえ」
 ヨアキム・モールダーは嗤う。
「何故なら君の意見がどうあれ交渉の余地などないからだ。君は死に、聖霊は私のものになる――彼女のように、ね」
 胡桃坂に既に息はない。ただゆらゆら揺れながら立っている。
 リヴィングデッド、ゾンビ――つまるところ一個の死体だ。
「爆弾は不味い手だったが、まあこんな無能な猿でも神への道程を示す灯火となることはできる――卑しき者の末路にしてはむしろ幸いだ。そう思わんかね?」
「――幸い、ね」
「そうとも。勿論聖霊をこのように粗末に扱いはせんが――何、私のための光となるという点では変わらん。君もそうだ――神の道を閉ざすものは見るに耐えない。そういう民は一度死んで救われるべきだ」
 もう一度。
 良く喋る人だなあ、と思った。
『教授』と呼ばれていたようだが――人を教え導くことが自らの天職と疑っていない、そういう人間のようだ。
 その導き先はさておき。
 ヨアキムは話を一方的に続ける。
「聖トマスがインドに赴いたときの話だ」

「使徒はまた男に会った。男は言った。
 私は一人の女を愛し、彼女も私を愛した。
 しかし私は貴方の語る真理と信仰を聞き、貴方の言葉を聴いた。
 すなわち『姦淫を行なうものは誰でも、私の宣べ伝えるこの神とともに命を持つことは出来ないであろう』と。
 私は彼女を心から愛していたので、彼女に貴方の宣べ伝えるような清い聖潔な純潔な節度のある生活を私と共に送るように願い、かつ説得した。
 しかし彼女はそれを欲しなかったので、私は彼女と共に寝て彼女を殺した。彼女が他の男と姦淫するのを見るに耐えなかったからである」


「なんということだろう! 未熟なる嫉妬! 純潔を求める愚かさ! まるで君のようじゃないかね?」
「……それのオチは?」
「――悔い改めた男は救われ、その彼女もまた使徒トマスの奇跡によって蘇るのさ。彼女は実際によみがえる奇跡を体験したからこそ聖トマスを信じた。君もそうなるべきだ。めでたしめでたし、だろう?」
「冗談じゃないね。僕が其処に居たら、彼女を殺した男を役人に渡して、それでおしまいさ」
 彼女が救われたくないなら、放っておけばいいだけのこと。
 それはただの価値観の押し付けだ。
「それを堕落というなら、人には勝手に堕落する権利があるとだけ言っておくよ」
「おお、何たる魂の怠惰か! それを君が決めるのは、救おうと思い込む男と結局は同じ間違いを犯しているのではないかね?」
「……貴方が言っても説得力がないな」
「そうかね。だが、残念ながら説得力とは実力によって裏書きされるものでね――」
 気付いては、いた。
 死者たちの臭い。
 いつのまにか、僕と樹は一個小隊の死体に囲まれていた。
 胡桃坂も、今はその中にいる。
「……不思議だね。魔法みたいだ」
「そう見えるかね? これは純粋な科学だよ――そして、我が権能の精華でもある」
「…………」
「死者の肉体には、生存時の記憶が残っている。物理的な意味でね」
 彼らの癖や身体能力、既往症、すべて。
「屍骸はそれ自体が彼等がいかに生きたかの証明であり、生の鋳型なのだよ」
「……鋳型」
 そう鋳型だ、と教授は滔々と酔っているかのごとき目で続けた。
「ワーズワームはその鋳型から彼等を再構成(リビルド)する――そして『百知者(アルベルトゥス』たる私は、その全てを統括できる。何を介することもなく」
 脳を喰らって自らを脳と置き換え、肉体を支配下に治める寄生虫。
 ワーズワームとはそうしたもので、教授のインヴィクトゥスはそれを操る力だ。
 きり、きり、きり、と。
 彼の額の横の栓が蠢く。
 中身が噴出してきそうなほど、興奮しているらしい。
 良く見ると股間も微妙に膨らんでいるように見えた。
 ――下品な男だ、といっても危険が薄れるわけでなし。
「無論、生前と全く同じとは行かないがね――雄型から雌型を作る。その逆もまた然り」
「……死体から、生前の彼等を再構成したってこと」
「その通り。ただし彼等に自由意志はないが。全て新たな主たる私の思いのままだ」
 ……泥から全てを作り上げたデミウルゴス――偽りの創造神。
 警官なら、当然射撃の記憶は覚えている。
 今彼らは全員が銃を構え、僕を狙っていた。
「だから、私は知りたい。その聖霊が、いかなる鋳型をもってこの地上に現れたのかを」
 ――樫宮樹。
 三年前――UBC特殊部隊の襲撃を受けた理力研において「暴走」理力研壊滅の原因となる。
「その鋳型から、私のための聖霊を作り上げたいのだよ。それを見せつけてやれば、ヴァチカンも私を認めざるを得まい」
 どうやら、この人は自分の属する世界でもつまはじきにされているようだ。
 それだけならさもありなん、というところだが――
「つまり、一度樹を殺すってことかい?」
「当然だろう? 最も、その存在が今生きていると定義すればだがね」
「彼女は生きてるよ」
「そう思っているのは君ぐらいのものさ。そこに居るのは人ではない」
 半ば亡霊であり、半ばは神。
「君が傍に居ていいような存在ではないのだよ」
 その台詞を聞くのは、何度目だろうか。
 また、か。
 ああ――五月蝿いな。
 本当に。 
「一つ言っておくと――貴方の認識は、最初から間違ってるよ」
「……なん、だと?」
 AI6についての、彼の理解。
 樹が何故、他のどこでもなく此処に、特計に居なければならないのか――
「まあ、どうでもいいけどね」
 そう、どうでもいいことだ。
 彼が何を望もうと、僕らは彼をイレギュラーとして扱うしかない。
「ああ。貴方は最高だよ。最高に最低だ――如何なる統計も、貴方を容認しないだろう」
 特計の論理は、彼を認めない。
 ――樹がそろそろ、動きたくてうずうずしている。
 僕も、上手くやらないといけない。
 ポケットに入れた携帯端末から、とあるアドレスに予め設定されたメールを送信する。
「――樹」
「あい?」
「遊ぼうか」
「いいの?」
「うん」
 それは――樹の胎内で受信され、そこで一つのキーが解除される。
「――む」
 教授はそこで、迷わず僕を撃たせるべきだったが――彼は、見入ってしまった。
 樹に。
 ひとの手による、ひとを超えたものに。
(――『汝為すべきを為せ』)
 その言葉は樹の枷をまず一つ解く。
 彼女が自らの背中から押し出すもの――いや、生成するもの。
 それは速やかに細長い鉄の塊へと形を変える。
 樹はその鉄塊を無造作に掴むと、一気に引き出す。
 そして、顕れたのは水に濡れて鈍色に光る――刃のない剣。
 ――その名を屑鉄(スクレップ)という。
「馬鹿な、その小さな体にそんな長さの武器が……」
「形状記憶合金ぐらい知ってるだろ?『教授』」
 あからさまに小馬鹿にした口調は、彼にも悪意をきちんと届けた。
「……やれ、死者ども。その猿をまず黙らせろ」
 警官だった死者たちが銃を構え――発砲する。
 しかし、もう遅い。
 僕たちは完全じゃないし、無敵でもないし剛くもない。
 だけど――貴方を倒すには充分だ、ヨアキム・モールダー。
 貴方の判断は遅かった。
 樹に見とれるより先に、まず僕の頭を吹き飛ばすべきだったのだ。
 死者たちが僕を狙う。
 しかし、いかに再構成されようとも所詮は屍。
 彼らが生きていたころの精妙さはない。
 注意していれば、急所をかわすのはさほど難しくはなかった。
 そして――この仕事着も伊達ではない。
 総重量20キログラムを超えるこの服は、一般的な銃弾であれば大方弾くか受け止められる。
 それでも周だけなら少々厄介な敵ではあったが――水を素体とする樹には、銃弾など何の意味もない。
「樹――薙ぎ払え」
「りょーかいですー」
 スクレップ。
 それは全ての物を薙ぎ払う――刃なき剣。
 刃のない剣は、黒い霧をまとわせて――死体達を両断する。
 無造作に、豆腐のように斬り裂く。
 潰し、粉砕していく。
 樹に――彼等の武器は通じない。
 一方通行の接触。
 ゆえに、無敵。
 嘗て、「スクレップ」を用いた際の実験データを見たUBCの技術者は、樹に別の名をつけた。
 ――「虐殺天使」と。
「な――」
 剣を破壊する、という選択はある。
 しかし成形されて後の「スクレップ」はチタンとセラミック繊維を主原料とするMMCと同程度の強度を持つ。
 角度さえ適切なら劣化ウラン弾でも叩き落す代物だ。何発か銃弾が当たった程度で折れはしない。
「馬鹿な……私に操られているとは言え、こいつらはお前たちの同国人だ! それを……そんな無造作に! お前たちは天罰を、神を恐れんのか!」
 まさに何を馬鹿な、という台詞だった。
「……もう戻せないんだろう?」
 ワーズワームに脳を喰われた、哀れな警官たち。
 塵は塵に、死者は死者に――ならば、速やかに停止させてやるべきだろう。
 胡桃坂の首は最初の一撃で胴から離れていた。
 僕には何の感想もない。
 樹も、勿論何の感傷も覚えない。
 そもそも、樹には――マイナスの感情が、決定的に欠けているのだし。
 0か1。マイナス1はない。
 人を殺しても。
 人に殺されても。
 憎まれても、恐れられても。
 憎まないし、そねまないし、ねたまない。
 悲しまない。
 罪悪感も、ない。
 だからこその、無垢。
 だからこそ。
 僕は。
「貴様……それでも……正義の味方を名乗る特計か?」
「……正義?」
 不思議そうな表情をつくって。
 僕は首をかしげてみせる。
 笑みもなく、自嘲もない。
「誰がそんな事を言ったんだい?」
 特計の、処務課は。
「僕は、ただの公務員さ」
 統計数字に影響を及ぼす要因を排除するために存在する。
 その職責を果たすだけ。
「今の任務は、樹を守るために、貴方たちを排除すること」
 イレギュラーは取り除く。
 それだけが必要な結果。
「もっとも、樹にはどうしたって貴方は殺せないけどね――」
 残念ながら。
 樹は、そもそもディクタットを有しない。
 彼女には、この教授は殺せない。
 でも、僕はそうじゃない。
「くふ――ならばこれはどうかな」
「――!?」
 ただの鋳型。
 教授がそう呼んだ、警官のひとり。
 樹が斬ろうとした、まさにその時。
 記憶の残骸にすぎないはずの首が、涙を流していた。
 一瞬、僕は躊躇する。
 樹がそれを読み取って、離れたちょうどその時――別の死者が、頭を狙ってきた。
 銃弾はぎりぎり、僕の額をかすめていく。
「ふ――体内水分を溢れさせただけで、これほど劇的な効果があるとはな」
 所詮は小僧か――そう教授は笑った。
 血が目に入りそうになって、僕は額を拭った。
「――貴方が僕より最低なのは、よくわかったよ」
「下賤な小僧には下賤なやり方で応えるだけのこと」
「……成程ね」
 確かにお互い、賤しいね――と、息を吐いた、その瞬間。

「嘆かわしいね。君には『聖トマスの真珠』を名乗る資格があるのかな――教授」
 空から、声が降ってきた。
「!?」
 僕も、教授も。
 つい、上空を見上げる――何もない。
 空ではなかった。
 美術館の本館。
 この敷地で一番大きな建物が、いきなり消失した。
 正確には、半欠けになった。
 音も無く。風のそよぎさえほとんど無く。
 目に見える範囲は、全て塵になって沈んでいた。
 ゆっくりと舞う灰燼の向こう、壁から部屋から、全てが切り欠かれていた。
 上から円筒型の刃でくり貫いたように――全てが、筒状に切り取られ、粉砕されていた。
 静かに、ほぼ一瞬で。
 だが、その瞬間に場の空気は切り変わった。
 ……塵の中心に、誰かがいる。
「――来たのか」
 僕は理解した。
 歌が聞こえる。
 独特の韻律で紡がれるその歌は――使徒ユダ・トマスの行伝「結婚の歌」の一節。 

「少女は光の娘、
彼女に王らの高貴な輝き在りて其処に在り。
その顔は喜びに満ち、
まばゆきばかりの美しさに光輝く。
その衣春の花に似て
芳しき香を放つ。
その頭上に王坐りまし、
その下に座する者を自らのアムブロシアで養いたもう。
その頭上に真理在り、
その足で喜びを示す。
その口は開かれ、似つかわしく。」


「日本語の言い回しは難しいね……上手く歌えそうにない」
 と言いつつ、流暢な日本語を操る少年が。
 塵芥の中に立っていた。

 彼の名は左手の剣。
 士師エフドの名を持つ、「聖トマスの真珠」七人目の同道者。



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