創作「いつでも君は、僕より優しい。(epilogue)」

「水(Aqua)」

 ――周に与えられた致死許可証は、二つの意味を持つ。
 それはすなわち「ライセンス停止中は、『お前は』絶対殺すな」という逆説的な禁忌。
 そして、だからこそ、自身のディクタットが停止している限り、周は決して「樹が殺す」こともまた受容しえないだろう、という上層部の読み。
 周はそう見られていることを無論承知している。
 承知した上で――この立場を選んだ。
 自ら樹の枷となって。
 樹を自らの枷として選んだ。
 オーバーキルを。暴走を。逸脱を。
 恐れられているのは、樹じゃない。
 ――この、僕だ。
 周は、それを空気のように、水のように、自らに流れる血のように、受け入れている。
 ――そう。理力研を、「樹のために」壊滅させたあの日から、周は受け入れた。
 樹のそばに、居るために。
 己を、樹を守るための刃に変えて。
 樹を、己に架した枷として。
 ――そうだ。
 僕は国のためにも、正義のためにも、神様のためにも、人を殺さない。
 ただ――自分のエゴのために。
 僕は誰のために人を殺す?
 ただ――樹のそばにいるために。
 ぼくは――人を殺す。
 樹のそばにいられるなら、使う主人は誰でも良かった。
 僕は――ただの鋏だ。
 理髪師が誰であれ、その手によって髪を刈り取る――
 
 ――携帯端末に着信。
 本部からだ。出たのは耳慣れた声。
「――係長?」
「よくやった。解析課からスクレップからのデータも上手く取れた、との連絡だ」
 そうですか。
 ――スクレップもまた、ただの鉄塊ではない。
 樹の身体状況を二十四時間監視するためのセンサーであり、同時に形態を安定させるためのバッテリーも兼ねている。樹にとっては文字通りの非常電源だ。
 樹が充電できない状況――たとえば暗闇で絶縁体の中にに置かれた場合など、でもスクレップ内部の燃料電池が最小限の電力を供給することで一定時間の活動を可能にする。 
 そして、樹と周の戦闘データも当然スクレップは全て保存する。
 何のことはない。
 あちらもこちらも、同じことをやっているのだ。
 同じように、人をコマとして扱っているだけのこと。
 ――死者の群れを見る。
 それはすでに風景と同化した唯の有機物。
 放置されれば、腐敗し分解し自然に消費されるだけの、肉の塊。
 無論、いずれ市警の手によって片付けられるだろうけど。
 動物を静物に変えたのは、この自分の手だ。
 手元に、体の周りに戻ってきた砂鉄は、わずかに赤く色づいていた。
 全て服に吸着させると、血の匂いが鼻をつく。
 刃に使用する砂鉄を全て仕事着に吸着させると、総重量は20キログラムを超える。
 それは周にとっては当然の重荷。
 流された血を思えば、いくら重くても足りない負荷。
 でも、僕が死ねば、彼女も居なくなるから。
 僕は死ねない。
 どういうことかって?
 水と電磁気によって仮初の肉体を構成する彼女。
 生きていない。
 死んでいない。
 ただ、そこに居る――透明な、彼女。
 僕は僕のために彼女が必要で。
 彼女は、僕がいないと、ひとでいられない。
 AIとしての形を保てない。
 僕が死ねば、彼女はただの海月に戻る。 
 それが、ひとごろしが生きていくために必要な、たった一つの理由だ。 
 だから僕は、仕事の度に、祈る。
 いつでも君が、僕より優しく在るように――と。
「樹」
「あい?」
「……僕は、自分がたまに凄く嫌いになるんだ」
 あんな絵なんて、無くっても。
「そうですか」
 ――そんな気分になる時は、ある。
「でも」
「樹は、周が大好きなのですよ?」
 ふわりと。
 彼女は、後ろから周の顔を抱く。
 生温い、水の感触。
 人肌よりずっと温い――ただの水っぽい何か。
 だけど水滴は彼を濡らさない。触れるだけ。
 彼が触れようとすれば、それはやっぱりただの水で。
 それもやはり、一方通行の接触。
 だけど。
 それでも、樹はここに居る。
 それが、僕の自己憐憫と同じものだとしても。
 樹は、僕を抱きしめようとする。
 出来もしない、その体で。
 だから。
 僕は。
「周は、なぜ泣くのですか?」
「……泣いてないよ」
「――樹と居るから、泣くのですか?」
「違うよ」
 砂鉄が目に入っただけだ。
「周、ほんとうのこと、中々言わないです」
 そんなことはないよ、と、言おうとしたとき。
 一瞬、樹の姿がぶれて。
 ――彼女の、体温が、僕に触れた。
「樹? 何を――」
 ……暖かな感触が。人の体温が。
 僕を――抱きしめる。
 「――どうして?」
 振り返ると――樹の身体はいつも以上に透けていた。
 ほとんど映像が分解しそうなほどに――
 けれど、それでも。
 その一瞬の感触だけは――確かで。
 ――ふっ、と、その肌触りが消えて。
 樹の身体は若干見た目の実体感を取り戻した――が、いつもよりやはり薄く、荒く見える。
「――昔の256色画像みたいになってるよ、樹」
「総天然色は処理が重いのです」
 今日は天気が悪いのです、みたいな無造作な口調で樹は原因を指摘する。
「ばらしちゃうと、現実体化は電力消費が激しいのです。りみっとぶれいくなのです」
「……ブレイクしちゃ駄目だろ」
「でも周、泣いてたですし」
 だから、と樹はいつもより薄い色のまま、微笑む。
「樹は、周が笑ってると、とっても嬉しいのです」
 ……いつかの昔に、課長が言った言葉を思い出す。
「あなたに預ける条件はただ一つ」
「樹を――ひとに飽きさせちゃ駄目よ。ひとであることを、選ばせ続けなさい」
 ――ああ。
 そういうことか。
 彼女は、望む限り永遠。
 それ故、人は彼女を聖霊と呼びたがる。
 でも、彼女がそれを望まなかったら。
 そんな彼女だから、僕は。
 例えその心が、僕から分かたれた一部にすぎないとしても――
「樹、ありがとう」
 ――僕は、大丈夫だから。
 そう告げた次の瞬間。
「良かったなのです」
 いつもより、さらに彼女は薄くなる。
「……また透けてるぞ」
「安心したので、しばらく省電力モードなのです」
「……わかったよ。戻って、充電しよう。今日ぐらいは、課長もかるぴすを用意してくれてると思うしね」
「――はいです」
 樹は微笑む。
 樹には、ネガティヴな感情は最初から存在しない。
 だけど、喜びの量的な、あるいは質的な違いはどうなのだろうか。
 今まで、考えてみたことはなかった。
 だから――とりあえず。
 樹のその笑顔に、僕も笑い返してみようと――そう思った。

 


「いつでも君は、僕より優しい。」了
 
 
 

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